2011年7月26日火曜日

日本人論1-讃えられる”GAMAN”と悪用される我慢

 昨年11月、NHKのクローズアップ現代で、アメリカのスミソニアン博物館で “The Art of Gaman”と名付けられた工芸品の展示が行なわれているという紹介があった。

 戦争を知らない日系人が自宅の納屋や倉庫に見事な工芸細工品があるのを見つけた。自分のうちだけではなかった。多くの日系人の納屋や倉庫にいくつもの工芸細工品が埋もれていた。

 第2次世界大戦の発端となった日本軍の真珠湾攻撃は、アメリカ社会に激しい反日感情を引き起こした。日系人は、内陸部の砂漠に強制的に連行され、柵で囲まれた収容所に収監された。

 収容所では日系人は自給自足を強いられた。全てが不自由で逃げ出せば射殺された。いつ終わるともわからない日々をじっと耐え、多くの日系人が、いつとはなしに、つらさを、工芸細工品を作ることに昇華させていた。限られた道具、限られた材料で、こみいった見事な美術作品が作られた。

 戦後生まれの日系人が納屋や倉庫で見つけたものは、自分たちの親達が作っていたものだった。それは集められ、いつしか日系人を排斥した人々の知ることになった。これらは、世界中の人が訪れるスミソニアン博物館で、The Art of GAMANというタイトルで展示された。粗末な材料と道具から作られたとは信じられない作品は、訪れる人々に日本人の辛抱強さ、忍耐、そして精神性の高さを充分に印象付けるものであった。

 今回の東日本大震災で、日本人の我慢強さや忍耐、秩序正しさなどが世界的に賞賛された。”GAMAN”はいまや国際語になりつつある。

 日本人の我慢強さは、どこからきたのだろうか。日本の気候に関係しているのではないかと思う。赤道直下の暑さと北の寒さが狭い日本に凝縮されている。インド人もびっくりする暑さ、北欧に劣らない雪の厚さ、これ程の暑さと寒さがわずか長さ2000kmの狭い国土に詰まっている。このようなところは世界中どこにもない。

 DNA解析によって推察される日本人の祖先は、シベリアの更に西の数千キロ先と言われている。風俗的にはブータンや中国の雲南省と非常によく似ている。日本人は北からも南からも数千キロにわたって長い道のりを歩いて大陸の東の端にたどりついた。追われるようにたどりついたのか、新天地を求めて、積極的にたどりついたのか、知るよしもない。いずれにしても日本人の忍耐強さや辛抱強さは長い道のりによって育てられ、厳しい天候によって鍛えられるなど、非常に遠い過去から刻みこまれたものだろう。

 日本人の〝GAMAN″は、メリットだけだろうか。日本人の我慢強さは、日本独特の社会を構成し、それは必ずしも優れているとは言えない。

 日本人の我慢強さ、忍耐強さを一番よくして知っているのが、日本人である。日本人は、無意識に、日本人の我慢強くて、忍耐強い性質を知っており、そしてそれを無意識に利用している。

 それが顕著に表れるのが、会社の上司と部下である。上司は、部下に難しい仕事をなんとかしろといって押し付ける。係長、課長、部長、役員、社長と偉くなるにつれて、なんとかしろと押し付ける傾向が強くなるケースもある。その逆に上の指示は下にいくほど増幅されて厳しくなるという説もある。〝叱ってなんぼ、叱られてなんぼ″という言葉がある。〝無理難題をなんとかするのがサラリーマン″という言葉も聞いたことがある。

 私はいつもなんとかするほうでなんとかしろという立場ではありませんという人も状況が変われば豹変する。
 外注をする場合、納入業者に価格と納期で無理難題と思われる要求をする。複数部門で仕事をする場合、後ろ工程に対して、平気で納期を遅らせる。ソフト開発者に対して、既にソフト開発がスタートしているのに、あとからあとから仕様変更をする。いずれも受ける側はたまったものではない。あまり意識することなく受ける側の忍耐と頑張りを期待している。自分が受けている無理難題を、違ったかたちで、違った人たちに押し付けている。

 無理難題を処理するほうは、試行錯誤で忍耐と頑張りで、なんとかクリアするが、疲労困憊で効率は悪い。

 現場レベルでは、こうした環境は現場力の強化につながっているかもしれない。問題は上下関係であろう。年貢を厳しくとりたてるお代官と年貢を取り立てられる百姓の関係である。お代官と百姓の時代から、日本人は、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んできた。というより、ずっと昔から持っている生来の忍耐強さを、お代官様も利用したのだろう。

 太平洋戦争では「日本陸軍は教科書通りのことしかやらない。どうしてあんなばかな司令官や参謀たちのいる軍隊が大崩壊しなかったのか。兵隊や下士官が信じがたいほど強かったからだろう」とイギリス人参謀が言った(司馬遼太郎『昭和という国家』)とのこと。日本軍の参謀たちも兵隊や下士官の忍耐強さや頑張りを利用することばかりに頭を使ったのだろう。

 今回の大震災で確認できたことは、「日本のボトム力のすごさ」と「政府や東電本社などトップ層のだらしなさ」であろう。

 電気や携帯機器メーカーは、優れた技術を持ちながらガラパゴス化していく、折角の技術がいとも簡単に流出していく。銀行や証券も優秀な人材が集まっているはずなのに、M&Aや大きな国際案件で外資系に全く歯がたたない。

 一般に下が頑張るから上が育たないとも言われている。世界的にも日本人の現場力のすごさと企業や政府などのマネジメントのまずさが通説になりつつある。

 何がまずくてどうすれば、よいのだろうか。日本が成長していくために、多くの人が考えなければならないテーマだと思う。どうなっていて、どうすべきか私も次回のブログで考えてみたい。

日本人論2-頑張るボトムとダメトップ

2011年6月30日木曜日

まともなエネルギー政策を

 危機管理および安全保障は国の最大の仕事である。将来想定される危機に対して、危機が起きないように、輸送面、技術面、経済面など様々な角度から検討し、長期的にも短期的にも適切な対策を施し、安全を保障する。このような国家の重要事項は、国民は方針や概略を知っていて、政党が変わっても大きく変わらないというのが本来の姿ではなかろうか。行わなければいけない危機管理、安全保障はいくつかあるが、エネルギーもそのなかの一つである。
 今回の原発事故で、国は電気エネルギーを極端に原発に頼ろうとしていたことを、国民が広く知ることになった。民主党が採った方策は、自民党も吃驚するほどの原発依存であった。
 本来なら、今回の福島原発事故を受けて、長期と短期にわたってエネルギー政策が再検討され、変更が公表されるべきである。が、政府の方針がはっきりしない。はっきりしないというより、再検討もされず、変更する気もない。
 日本の電力エネルギーは、国の保護のもと、一つの地域に一つの電力会社のみが存在し、電力の安定供給を行ってきた。国と電力会社が一体となり、一面では高度成長を支えてきた。しかしながら、政治家と官僚、電力会社の三つ巴の電力利権構造は強固になり、その強固ぶりは「鉄の三角形」といわれている。各国が地球温暖化対策やエネルギー自給率の向上に再生可能エネルギー比率を高めてくるなか、日本は電力利権構造に変更を迫る再生可能エネルギーの普及に消極的で、ことあるごとにその芽を摘み取ってきた。太陽電池が普及しそうになると補助を打ち切り、風力発電が伸びかければ、規制を強化した。
 電力に関する既得権益が如何に強固であるか、もと官僚の岸さんというかたが、TVタックルで話された。電力会社の傘下には、たくさんの企業がぶらさがっている。半国営の電力会社は値切ることをしらない。製品を納める企業からみれば、これ程有難い納入先はない。従って、電力会社は多くの「票」を持つ。多くの票と多額のお金が政治家にわたる。政治家と官僚は、電力会社を守るための法律を作り、電力会社に補助金を渡す。官僚は、多くの天下りポストを得る。
 地球温暖化対策では、再生可能エネルギーの強化、発電送電分離、スマートグリッド技術などが必要であるが、既得権益者は既得権益の保護を第一優先とし、変化を忌み嫌った。岸さんによれば、スマートグリッドという言葉を出すだけで東京電力は露骨に嫌な顔をして、そんなことをすれば、大臣の首が飛ぶよと脅していたそうである。結局、自分たちの権益保護と地球温暖化対策を兼ねる原発への大幅傾斜を決めた。エネルギー安全保障の観点から一つのエネルギー源に集中させるような国はどこにもない。異論を唱える人も反対する人も少なかった。危機意識の欠如は、日本全体を覆う平和ボケ、高度成長ボケのなせるわざであろう。
 今回の福島原発事故は、日本における電力エネルギー政策の横面を思い切り引張たいた。日本だけではない。世界的にブームになりかけていた原発開発に水を差し、ドイツ、スイス、イタリアは、「脱原発」を明確にした。温暖化対策に積極的でないと日本では言われている中国や米国ですら、再生可能エネルギーの急速な普及を図っている。更なる温暖化対策と経済発展の両立に、原発を進めようとしている。
 原発推進を明確にしているアメリカ、フランス、イギリス、中国、これらの国では危機意識と危機管理知識・能力を持ち合わせている。万全でないとしても日本よりはるかに優れている。中国は強烈な危機意識とえげつないと思えるほどの危機対策意欲を持つ。
 日本に住むアメリカ人が、どこかの番組で、アメリカの子供のほうが、日本の総理より、危機意識と危機管理知識を持っていると言っていたが、笑えない現実だと思う。
 このままいけば、電力エネルギー政策のすべてを握る政治家、官僚、電力会社が既得権益にしがみつき、エネルギー政策や方針を何も変えず、ほとぼりがさめるのを待って、現状の原発政策を強引に推し進めるのではなかろうか。
  
 長期的なエネルギー政策はどうあるべきであろうか。
2050年CO2排出削減80%は、国際的な合意事項である。いつどこで、大きな地震や津波が襲ってくるかもしれない国土に、危機対策に無能な政治家が君臨する日本では、原発はありえない。全面的に再生可能エネルギーへ移行すべきある。再生可能エネルギーへ移行すると、国際紛争の種である資源問題も、地球温暖化や大気汚染などの環境問題もクリアする。放射線被害や原発へのテロ攻撃を心配する必要もない。
 長期的なエネルギー政策として、ある時期に原発を全廃し、再生可能エネルギーを主力にすることを明確にすべきである。
 
 短期政策を考える前に、現状をみてみる。現行法律では、原発は13ヶ月以内の定期点検が必要であり、再開には知事の合意が必要である。現実的には、地元住民の合意も必要であろう。地元の合意が得られないとすれば原発は来年の5月に全廃になる。そしていま、節電ムード一色である。これでは、ますます日本経済全体が活性化を失い、沈んでしまう。
 経済産業省大臣が、原発の再稼働へ向けて、佐賀県にお願いにいっている。これでは、エネルギー政策は全く変わらない。既得権益者を保護する今迄通りの原発と化石燃料を主体としたエネルギーになる。現に、国際社会へ日本のCO2排出が今後増えると公表しようとしている。これではあまりに無策である。
 
 短期政策は、長期政策を睨みながら、現実的な対応になる。CO2排出削減に向けて、化石燃料技術も頑張っている。石炭火力発電における二酸化炭素の貯留・保存技術(CCS:Carbon dioxide Capture and Storage)や天然ガスを用いてガスタービンで発電し、その廃熱で蒸気タービンを回して発電するガスタービン複合発電(GTCC: Gas Turbine Combined Cycle )、石炭をガス化し、ガスタービン複合発電を行う石炭ガス化複合発電(ICGCC: Integrated Coal Gasification Combined Cycle)などの技術がある。
 今回の電力会社の節電要請に対し、CO2排出が石炭より少ないとされるガスタービンによる自家発電を検討している民間企業があり、太陽光発電や風力発電を導入しようとしている一般家庭がある。
 企業におけるガスタービンによる分散電源、企業と一般家庭における再生可能エネルギーの普及を促進する法整備が必要である。
 現在、実質的に発電と送電を電力会社が一手に握っている。発電は一般業者が参入できるようになっているが、一般業者の送電使用料金が高いため、発電を行う一般業者の業績が伸びず、依然として電力会社の独占状況にある。このことから、発電・送電分離がいわれている。分離すると一般業者も安い送電料で送電ができることから、まずこの発電・送電分離を行う必要がある。送電も自由化すべきであろう。送電は送電と配電とに分けて、いずれ両方とも自由化する。まずは配電の自由化が望ましいと考える。
 一般家庭の太陽電池には、余剰電力買い取り制度がある。これをヨーロッパ並みに企業の発電も含めて、すべての再生可能エネルギーに拡大し、全量買い取りにすべきといわれている。孫正義さんなどは、余剰電力の買い取り期間が現在の10年では短い。全量買い取り制度にして、期間を20年にして買い取り価格も、以前の余剰買い取り価格の48円/kWhに戻すべきと主張している。現在は42円/kWhである。
 現状の法律は、一見、再生可能エネルギーを推進しているように見せて、実に様々な制限をつけて、再生可能エネルギーの推進を骨抜きしている。いつもの官僚の自己権益を守るための涙ぐましい努力の賜物である。
 
 政府は、時期を明確にして、原発全廃を宣言すべきと考える。そうしないと何も変わらない。将来は全廃するとしても、当面、原発は必要とするというような表現では、変化が生まれない。何も変わらない。
 原発全廃時期は、ドイツのように10年先では無理があるとしても、40年先では間延びする。「2030年までに原発全廃と再生可能エネルギー大幅移行」を宣言し、関連法案を整備するというのはどうだろう。再生可能エネルギーの普及を手ぐすねをひいて、待っている企業はたくさんある。
 小さなエネルギーをこつこつ積み上げていく再生可能エネルギーも、不安定なエネルギーをきめ細かく平準化させて使うスマートグリッドも日本人にあっている。大きな雇用創出につながるし、地方活性化の切り札でもある。
 再生可能エネルギーの研究で日本は先端を走ってきた。政府は普及の努力はしなかったが、研究開発段階では予算をつけてきた。
 再生可能エネルギーの種類は実に豊富である。よく知られている太陽光発電や風力発電、地熱発電以外にも太陽熱発電、潮力発電、波力発電、マイクロ水力発電、温度差発電、塩の濃度差発電など多種多様である。バイオ発電もいろいろある。ごみ発電に、糞尿発電、間伐材からつくるチップ発電などがある。日本での再生可能エネルギーの普及は電力利権構造が強いため、世界にかなり出遅れている。全量買い取り制度などの法改正や規制緩和などで再生可能エネルギーの普及にトリガーがかかれば、かなりの速度で日本は変わっていくと予想される。
 つなぎのエネルギーとしては、比較的CO2の排出量の少ない前述のガスタービン複合発電や石炭ガス化複合発電などが有望である。

 日本近海にはメタンハイドレードという化石燃料が多量に埋まっている。つなぎのエネルギー源として、この活用も考えるべきではなかろうか。このガスでガスタービン複合発電であれば、CO2排出もある程度抑制できるのではなかろうか。
 無駄の削減による無理のない節電やLEDに代表される省エネ技術も有効である。
 様々な手を打って、それでも電力がどうしても足りないということであれば、期限を限定して原発も止む無しとなるであろう。そのときは、将来の地震強度予想や原発の老朽度などから判断して、安全性の高い原発だけを再稼働することになるだろう。
 
 今回の福島原発事故は、誠に不幸な出来事であるが、これを契機に電力会社による独占支配と利権構造が崩壊し、再生可能エネルギーが普及することを祈って止まない。
 福島原発事故は世界を震撼させた事件であるにもかかわらず、政治家、官僚、電力会社からなる電力利権の「鉄の三角形」は、相当に強固であり、変わる気配がない。
 しかし、変わらなければ、再生可能エネルギービジネスは世界中で急拡大しており、この最大のビジネスチャンスを失うことになる。
 
 戦後、マッカーサーが日本人の精神年齢は12歳以下だと馬鹿にしたそうである。今、一般のアメリカ人から日本の総理の危機意識、危機管理知識はアメリカの子供以下だと馬鹿にされ、それに納得する我々がいる。利権亡者で、政争にのみ明け暮れする政治家に危機管理や将来ヴィジョン、まともなエネルギー政策を期待するのは、どだい無理があるのかもしれない。
 地球温暖化対策では、政府のかなり先をいく、多くの自治体がある。多くの企業が新しい時代へ向けて、様々な準備をしている。そして多くの国民が自分の意見が言えるネット時代がきている。時間がかかるかもしれないが、国民一人一人が自治体や企業、NPOやボランティア団体などを通して、ボトムアップ的に政治のレベルアップを図っていく必要があるのではなかろうか。

2011年6月14日火曜日

東日本復興ビジョン案(5)

5.次世代社会の先取り=東日本復興ビジョン 

いままで
東日本復興ビジョン案に向けて(1)提案をする意義 
東日本復興ビジョン案に向けて(2)危機的状態にある世界・人類文明 
東日本復興ビジョン案に向けて(3)危機脱出に向けたうねり=次世代社会の模索 
東日本復興ビジョン案に向けて(4)新旧社会の対比でみる各国の動き、日本の動き 

今回
1)温暖化に鈍感な日本人、温暖化ビジネスで大敗 
2)自然再生の重要性 
3)復興ビジョン=次世代社会の先取り+広領域な経済特区 
3-1)再生可能エネルギーによるエネルギー自給+工場誘致 
3-2)自然再生→安心安全を提供する農林水産業→食料自給率向上 
3-3)動脈・静脈バランス社会 
3-4)復興ビジョン実現にむけた復興手順 

1)温暖化に鈍感な日本人、温暖化対策ビジネスで大敗 
 地球温暖化対策の国際会議において、米国も中国も温暖化ガスの排出削減目標に堅く口を閉ざす。しかし、両国とも温暖化対策のキーテクノロジーである再生可能エネルギーの開発・普及に余念がない。一方、日本は、国際会議で、温暖化ガスの排出削減目標を口にするものの、政治家のパフォーマンスに過ぎず、再生可能エネルギーの普及は微々たるもので、電力エネルギーの約1%にしか過ぎない。
 地球の将来をみたとき、地球温暖化が破滅的であることは、ほぼ世界の常識である。国際会議では、それを知った上で、経済成長も無視できないとして、自国の利益をかけて丁々発止の駆け引きが行われる。そこに、温暖化の危険性を理解もしておらず、危機感も持たない日本の政治家が、しゃしゃりでて何の定見もなく、ぺらぺらとしゃべる。
 温暖化に対して、危機感のない日本は、世界の動向が見えておらず、個別企業が頑張っているとは言え、大きなビジネスチャンスを逃してきた。せっかくの大きな内需を失っている。中国・台湾・韓国の太陽電池メーカーが日本で既に販売を開始した。従来の電気製品ではあり得なかったことではないか。世界と危機感を共有できない日本は、世界の迷惑である。そして、日本は自分自身で経済チャンスの芽を潰している。
 温暖化は、大洪水や旱魃を引きおこしていることから各国の食料自給率の向上も必要としている。

2)自然再生の重要性
 地球温暖化対策は、温暖化ガスの排出削減だけでは不十分である。主たる温暖化ガスである二酸化炭素を大気から減らさなければならない。光合成で二酸化炭素を吸収する緑の増大、つまり、自然再生が必要である。山頂の水源林から、河川・海と流域全体で自然再生を行う。自然再生は、遠回りのように見えて、特に農薬、化学肥料(石油製品)を使わない農業に、育てる漁業に、ひいては食糧自給率向上に非常に重要である。自然再生が生物多様性に重要なのはいうまでもない。今後、日本ではゲリラ豪雨による洪水被害の増大が予想される。災害対策にも自然再生が必要である。斜面の急な杉や檜の植林は、根こそぎやられる。ダムは、自然の破壊者である。大洪水の場合のダムの決壊は被害を大きくする。洪水がなくともダムは直ぐに土砂に埋まり、その役割は短期間で急減する。老朽化すれば、逆に危険になる。今後予想される大洪水は正面から止められない、昔々の信玄堤や吉野堰のようにいなすのである。ちなみにダムによる水力発電は、世界的にクリーンエネルギーとはみなされていない。
 
3)復興ビジョン=次世代社会の先取り+広領域な経済特区 
 今回の福島原発事故で、いつ終わるとも予測のつかない被害を受けて、日本人は原発の危険性を知った。使用済み核燃料は、行き場がないことも知ってしまった。
 世界は、持続可能で、真に安心・安全な世界へ向けて、急転回しようとしている。逆に言えば、破滅的な危機が急接近してきていると言える。
 このようななか、被災地は、
 「持続可能な、真に安心・安全な次世代社会を世界に先駆けて実現する」
という大きな復興ビジョンで邁進すべきではなかろうか。
 世界が推進するエコシティー、スマートシティの大型版・発展版である。地域も被災地域だけではない、被災県全領域とする。そして、3県全領域を、従来、法律にとらわれない経済特区とする。様々な既得権も振り出しにもどす。

3-1)再生可能エネルギーによるエネルギー自給+工場誘致 
 先ずは、現在日本のかかえる危険な原発を、世界が懸念する温暖化危機を解消に導く、再生可能エネルギーの自給を目指す。さらには、太陽光発電に、地熱発電、マイクロ水力発電、洋上風力発電、瓦礫材・廃材・不要な間伐材利用のバイオマス発電などをあわせ、クリーンな再生可能エネルギーを謳い文句とした工場誘致を行う。誘致される工場はゼロエミションを約束できなければいけない。再生可能エネルギーの装置を作る工場であればもっとよい。日本の一日も早い原発削減に寄与できればすばらしい。地域全体は、もちろん、スマート・グリッド、スマート・エナジー最前線である。

3-2)自然再生→安心安全を提供する農林水産業→食料自給率向上 
 次は、自然再生をベースとした農林水産業の活性化による木材、食料の国内自給率向上。CO2の吸収を増加させるために、必要な水源林を確保するために、山津波や土砂崩れを防ぐ治水を行うために、森林整備を行う。
 放置されて、荒れた山林に、適切な間伐を行い、光を通し、風を通すと山は生き返るという。地中のバクテリアは増加し、林間には多種多様の昆虫や小動物が蘇る。木々は、地中からバクテリアが分解した豊富な栄養素を、大気中からたくさんのCO2を吸収し、大きく成長する。地中には、大量に水を蓄え、大気には沢山の水蒸気を放出する。豊かな森は、大気、河川、海の間を行き来する水循環を安定させる。一緒になって流れるバクテリアや植物プランクトンは、水を清浄化し、畠や海に栄養をもたらし、各種生き物を育む。いくら科学が発展しても、結局は自然の恵みで、我々は生かされており、豊かな自然は次世代社会の基本的なベースである。森林から、里山、河川、海へと自然再生を広げていけば、日本の林業復活、農薬・化学肥料を使わない、食べて安心・安全な農業促進、育てる漁業促進につながる。日本全体の農林水産業の模範となり、就労人口が大幅に減り、ガタガタになった日本の農林水産業が復活すれば、日本全体の食料、木材の自給につながっていく。

3-3)動脈・静脈バランス社会 
 現在社会は、ものをどんどん生産し、消費し、どんどん捨てる。おかげで世界中のゴミは増える一方で、多くの国がその処理に頭を悩ましている。動脈過剰で、静脈機能に欠けた社会である。日本各地で3R(リサイクル、リユース、リデュース)運動が行われているが、まだ端緒についたに過ぎない。現在、被災地は、瓦礫が山積みになっている。これらはエネルギー源、都市鉱山ともとれる。次世代社会では、あらゆるゴミは、生産資源、もしくは、エネルギー源になる。燃えるゴミは、発電機能付き焼却炉で処理される。糞尿はバイオ燃料である。食品ゴミはバイオ燃料か、肥料に化ける。金属類のゴミは、都市鉱山として使われる。全く再利用できないものは、いずれ淘汰されて、最初から作られなくなる。
 まずは、震災を逃れることができた周辺の市町村に発電機能付きゴミ焼却施設を作っていったらどうだろうか。

3-4)復興ビジョン実現にむけた復興手順 
  1. 復興ビジョン(=次第社会先取り)を国内に衆知させるとともに具体策は震災地をはじめ、広く英知を集める
  2. 被震災県の全体を経済特区とする
  3. 国の権限をできるだけ被震災県に渡し、復興ビジョン実現を迅速化させる。
    県は必要に応じて、市町村に権限を移す。但し、単なる個人的エゴや特定団体エゴは厳しく排除する
  4. 国は必要財源を確保する。
    無利子国債、赤字国債、増税、増札(単にお金を刷る)などが言われているが、増税は、経済を不活性化させるのでまずいのでは。
    経済は、誰もわからないほど、複雑といわれる一方で、+-の単純世界ともいわれている。自然災害で失われた損害額分、単純にお金を刷ってもよいのではないだろうか。日本経済、世界経済にも影響を与えないのではなかろうか。もし、お金の世界と物の世界は違う、刷ったお金は、結局は、だぶつくといわれるのであれば、刷った分のお金は復興したときに、燃やしてしまえばよいのではなかろうか。
  5. 県は、国の復興ビジョンを受け、被災地のみならず県の復興に向けて、復興ビジョンの具体案を作る。山頂から海まで、県全体を次世代社会に変えてしまう。
  6. 震災被害地自身の町作りは、どうするのか。広くアイディアを募ればよいが、まずは、
    • できるだけ住居は作らない。学校、市役所など市民生活に欠かせない公共施設は作らない。これら住居、学校、病院は高台につくる。
    • 被災地には、農場、海産品加工場、工場、さらには再生可能エネルギー生産場などにする
    • 被災地の道路は、整備しなおして、以前よりは、広くして、避難道路を兼ねるようにする。
    • 津波の防波堤は作らない。海岸線は、できるだけ自然のままに残すようにして、不必要にコンクリートで固めない。
      など


 いずれにしても、日銀に刷って貰ってでも、早くお金を用意して、雇用を確保して、被害者の不安を取り除く必要がある。次世代社会を目指せば、いくらでも仕事はある。これにそって、雇用を創出し、被災者の雇用を確保する。集落単位で雇用が提供できれば、ベターである。継続的な雇用か、一時的な雇用(時期をみて、もとの仕事に帰る)かは、被災者の希望にそう。雇用に応じて、住居を用意する。


 政府は、自ら陣頭指揮をすることを目指すのではなく、方針やビジョンを明確にしたあとは、現場が動きやすいように、環境作りに専念すべきではなかろうか。
 ビジョン策定後は、復興費の捻出、規制緩和に向けた経済特区作り。その後は、自治体への権限委譲や、全国から支援のしやすい法律改定などが考えられる。復興経済が順調にすすむような仕組み作りも必要になろう。
 もし、政府の動きが悪い場合は、被災自治体、被災者、復興支援をする各団体・個人もどんどん積極的に動き、中央集権的な権限をどんどん奪っていくべきではなかろうか。そして、不適切な、理不尽な種々の規制緩和を撤廃させていくべきではなかろうか。
 テレビや新聞メディアは、不毛な政局争いの報道はやめて、まともな議論ができるコメンテーターを集めて、今後どうすべきか、まとめあげていったらどうだろうか。科学や法律などもっと調べて、啓蒙的な役割をもっと推進したらどうだろうか。
以上

2011年6月9日木曜日

東日本復興ビジョン案に向けて(4)

4.新旧社会の対比でみる各国の動き、日本の動き 

東日本復興ビジョン案に向けて(1)はここ。 
東日本復興ビジョン案に向けて(2)はここ
東日本復興ビジョン案に向けて(3)はここ

 世界は、経済第一という点で、モノトーン化してきたようにみえる。各国ともGDPが増大していれば安心し、GDPが停滞もしくは減退していれば、非常に不安がる。経済成長のためならば、少々の不具合や齟齬は許されてしまう。なりふりをかまわない経済成長第一主義のように見える。
 一方で、世界は、地球温暖化や自然破壊、さらには化学物質汚染や人口爆発などを破滅的な危機と捕らえ、持続可能な社会へ向けて、変貌しようとしている。
 このような二つの流れの中で、各国はどのように動こうとしているのか、かなりの温度差が見られる。
 ヨーロッパは、温暖化に、かなりの危機感を持っている。現実の猛暑、寒波、大洪水など温暖化被害を肌で強く感じているからであろう。「温暖化対策と経済成長の両立」を標榜している。再生可能エネルギーの全量買い取り制度や排出権取引制度などの温暖化対策も効を奏しており、太陽電池のQセルズや風力発電のヴェスタスなど急成長してきた。再生可能エネルギーの雇用を支える職業訓練も充実している。エコシティ、エコタウンの実証など盛んに行われている。ドイツなどは3R(Recycle、Reuse、Reduce)も進んでいるし、汚染化学物質規制もEU主導である。EUとして、複数の財政困難な国家を抱え、植民地時代のつけである移民問題などをかかえたりしているが、地球温暖化に対する危機感は相当なものがあり、国際社会を引っ張っていこうとする強い意志が感じられる。原発は、温暖化対策として位置づけが大きくなっていたが、福島の原発事故で、ドイツとスイスは原発廃止を決めた。

 米国は国策で温暖化対策としてグリーンニューディールやモーダルシフトを進めている。アルゴア元副大統領やアースポリシー研究所レスターブラウン所長などは、温暖化を非常に危機だとして積極的な啓蒙活動を行っている。現実に竜巻やハリケーンの巨大化、西海岸の山火事の頻発など温暖化被害は増大している。ビジネス界は、温暖化対策重視と軽視の真二つに割れている。対策推進派は、再生可能エネルギーを大きなビジネスチャンスとしてとらえ、積極的に事業展開を行っており、太陽光発電も風力発電も急速に普及している。スマートグリッドもIT技術が応用できるとのことで、グーグルなどIT企業が積極的に取り組んでいる。電気自動車の開発や普及にも積極的である。その一方で、経済成長第一主義者や石炭・石油ビジネス業界も黙ってはおらず相当な相克がある。原発は今後も継続するとのことであるが、米国では再生可能エネルギーの技術開発・普及が今後も加速度的に進むと予想される。

 中国は、国営資本主義でなりふりかまわない経済成長を邁進中である。環境汚染も相当にひどいと聞く。人権軽視、検閲強化など自由主義圏の世界からは考えられない振る舞いであり、覇権拡大意識も強烈である。南沙諸島、西沙諸島さらには尖閣列島の領土主張、インドを包囲する真珠の首飾り作戦などなど。世界中の資源あさりは衆知の事実である。将来の食糧不足に備えたアフリカ諸国での農地確保、片道切符での農夫の送付など、やりたい放題の感がする。  中国では北東地方の旱魃がひどく、新彊地区の氷河も目に見えて後退しているなど、温暖化被害も深刻化している。砂漠も拡大しており、数年で北京に押し寄せるのではないかと心配されている。このため、中国政府は植林をはじめとして自然回復にも積極的で、「緑の長城作戦」「退耕還林」「退耕還草」「季節的休牧」などを行っている。再生可能エネルギーにも積極的で太陽電池や風力発電が急速に普及している。太陽熱利用の温水もブームになっている。電気自動車の普及に向け、給電所が急ピッチで広がっている。エコシティの実証実験も積極的で日本を含む各国が技術提供や共同開発を行っている。都市鉱山も着々と進めている。次世代社会へ向けて中国も大きく動いている。中国の原発は、あれだけ広い土地がありながら地震多発地帯に建設されている。これは改善されると予想される。

 オーストラリアは、温暖化対策には必ずしも積極的ではなかったが、旱魃や山火事の頻発など温暖化被害が大きくなり、状況が一変した。温暖化対策が選挙戦の争点となり、温暖化対策推進派が勝利した。しかし、炭素税の導入に対しては、現段階で反対意見のほうが多いとか。ここでも温暖化対策と経済優先の押し合いがある。

 日本は、世界的にみて、温暖化に対して危機意識が非常に希薄である。世界的な意識調査ではほぼ80位と非常に低位である。温暖化対策の国際会議では、毎回、発言が後ろ向きであるとして、”化石賞”を貰っている。危機意識が低い第一理由は、なんといっても温暖化被害が他国と比べて軽微であるからであろう。被害は少ないといっても、九州産のコメは温暖化の影響で白濁化した。商品にならないということで品種改良がされ、既に改良品が出回っている。ミカンもサクランボも影響を受けている。農家だけではない、漁師が獲る魚はどんどん南方系になっている。専業の第一産業従事者が少ないので、声があまり聞こえてこないのだろう。
 ゲリラ豪雨被害で死者が増えても温暖化の危機意識を持たない。温暖化に対して、危機意識を持っていないから、京都議定書の遵守や排出権取引は、単にビジネスの障害にしか見えない。
 危機意識が薄い他の理由として、都合の悪いことは、見たくない、聞きたくない、考えたくないという国民性にあるとも言われている。

 日本は、高度成長の夢いまだ覚めやらずで、高度成長が続く中国、韓国を恨めしそうに眺めている。そして、夢よ、もう一度ということで、工業製品で稼ぎ、その他は輸入という旧態依然としたビジネスモデルに固執し、経済成長ばかり気にしている。高度成長ボケは、世界の次世代へ向けた取組が目には入っても、耳で聞いていても、思考に入らず、ましてや方針になっていない。過去の幻影を追っているだけである。
 資源は輸入が思うようにならないということで、少しはあわてているが、食料も木材も輸入できなくなるかもしれないということまで、考えられていない。

 日本の国際会議での温暖化ガス排出削減宣言は、国内外で、真剣さのない政治家の単なるパフォーマンスとしてしかとらえられていない。本来の持続可能社会つまり安全社会という一面を忘れている。CO2排出削減の世界へのつじつま合わせと経済成長のみを考慮して、スマートグリッドなどの新技術を使わない従来技術でできるという安易な発想で危険な原発に極端に頼ろうとしていた。今回の福島の事故で、原発の問題が浮かび上がってきた。使用済みの核燃料がたまりに溜まって、行き場がないことや日本が地震の巣であり、今後も事故の可能性が大きいこと、安全技術管理が不十分であることがわかってきた。ウラン資源も限りがある。エネルギーだって、いつも簡単に輸入できるとは限らない。石油をめぐって国際社会はいつもきな臭い。

 日本は従来型の経済第一主義一辺倒で、温暖化や食糧難など世界的な危機へ向けた取組が全く遅れている。日本での再生可能エネルギー普及は、たったの1%である。全くの出遅れである。大きな内需を失っている。そのせいで温暖化対策をビジネスチャンスとしてとらえた企業はしかたがないから、他の国の温暖化対策推進に便乗して頑張っている。輸出の増大ということで政府がはじめて後押しをする。非常に奇妙な構図と言わざるを得ない。

 危機は温暖化だけではない。食料も、木材も、エネルギーも、自然も危機である。対策は各国とも自然を涵養して、食料も、木材も、エネルギーもできるだけ自給して、持続可能にしていくことである。  日本は世界の危機を知り、東日本大震災の復興で次世代社会のありようを世界に先駆けて実現すべきではなかろうか。  漁師が山に木を植える運動の起点は、仙台の漁師である。岩手県葛巻町は再生可能エネルギーに注力し、電力の自給率は180%、エネルギー全体でも78%とのことである。最も難しいとされたリンゴの無農薬栽培に成功した木村秋則さんは青森県である。東北には、次世代の先鞭がある。もともと日本人は自然涵養で優れたDNAを持ち、3R精神に富んでいた。昔の日本人に立ち返り、東北大震災のあとに、一日も早く原発のない持続可能な次世代社会を実現して欲しいと思う。

次回 
5.次世代社会の先取り=東日本復興ビジョン

2011年5月31日火曜日

東日本復興ビジョン案に向けて(3)


3.危機脱出に向けたうねり=次世代社会の模索

 前々回はここ。 前回はここ

 現代文明は、豊かさや便利さを手にした反面、自然を破壊し、有害物質を陸空海にばらまき、二酸化炭素を大量に空中に放出し、地球を温暖化させている。有害物質は、深刻な健康被害を引きおこし、遺伝子まで変えてしまう。自然破壊や地球温暖化は、食物連鎖の底辺である植物プランクトンから身近な食料にまで被害を与え、世界的な食糧不足を引きおこす。古代文明が、自然破壊から食糧不足になり、滅んだように、現代文明も食糧不足になれば滅ぶと予想されている。

 地球の温暖化が進み、みんながこれは危ないと思ったときは、もう手遅れである。その時は、地球の熱暴走が止まらなくなっている。どんな手を使っても熱暴走を止めることができない。ほとんどの生物は、死に絶えてしまう。

 多くの日本人は、ほとんどの日本人は、このような危機感を持っていない。悲しくなるほど、無頓着である。しかし、世界をみれば、このような危機感が、世界を根底から変えようとしている。
 破滅にむかう文明を、どのように持続可能な文明に変えていこうとしているのか。どのように変わってきているのか。

 温暖化ガス排出削減に向け、太陽光発電、風力発電などが急速に普及しており、それ以外にも様々な再生可能エネルギーが開発されている。再生可能エネルギーは温暖化ガスを排出しないのみならず、有害物質を排出しない。クリーンである。しかしながら、太陽光発電も風力発電も天候などの自然状況に左右され、作り出される電気は不安定である。不安定な電気を使いこなしていくために、スマートグリッドと呼ばれる技術が開発されている。スマートグリッド技術で、場所的な電気のふらつきを、また、時間的な電気のふらつきを、抑えようとしているのである。

 電気自動車は、未だ少ないとは言え、走り始めている。電気自動車に必要な電気を全部石油で作ったとしても電気自動車の方がガソリン車より、CO2排出が少ない。電気自動車の先をいく水素燃料電池車も開発されている。

 これら一連の地球温暖化防止策は、破滅型の文明から、持続可能な文明へ変わっていく重要な流れであり、低炭素革命と一般に言われている。社会の根本的な変革であり、まさに革命である。産業革命は、ダーティ革命であったが、低炭素革命はクリーン革命である。クリーン革命でなければいけない。原発はCO2を出さなくとも、人々を恐怖に陥れる放射線をだす危険性が大きく、クリーンではない。ダムは、原発と比較して、罪は少ないが、自然システムを大きく破壊することから、世界的にクリーンとはみなされていない。

 革命はこれだけではない。生産過多でゴミと汚染が溜まりやすい、いままでの静脈不足、腎臓不全の社会から動脈、静脈バランス社会へ脱出する3R(Recycle、Reuse、Reduce)革命も進展しつつある。低炭素と3Rを組み合わせたエコシティもしくはスマートシティ、さらには、自家用車より公共交通機関を重視するというモーダルシフトをも組み入れたコンパクトシティの実験が世界各地で行われている。都市鉱山に目を向けた資源革命も言及されている。ヨーロッパ発の有害化学物質を自己規制し、公表するというRoHS(Restricting of Hazardous Substances)規制を各国とも取り入れ推進しようとしている。

 つまり、世界は次から次へと問題を次世代に積み重ねていく破滅型社会を脱して、クリーンでかつ持続可能な社会へ移ろうとしている。

 食料についてはどうであろうか。
 最近、世界人口は70億人を超えたと報道された。2050年には90億人以上になると言われている。世界の飢餓人口は現時点で約10億人。増大する人口に水、食料を供給し、エネルギーを確保し、そして、可能な限り飢餓人口を減らしていく。そんなことはできるのか。それができなければ、持続可能社会とは言えない。

 エネルギーに関しては、上記のように不十分とは言え、世界中でいろんな新エネルギー改革が進められているが、食料については、対策が進んでいるとは思えない。もっと考察対策が必要なのではなかろうか。世界食料会議では、大きな問題となっており、「どの国も食料輸入に頼るべきではない、あてにすべきではない。各国ともに食料自給率の向上に努めるべき」となっているとのことである。ネオ植民地主義と揶揄される中国・韓国の食料確保政策はひどいとしても、日本はあまりに楽観、無策である。

 食料対策として、極端なことを言えば、砂漠を緑化し、雲を呼び、水を降らせる。そして穀物を作る。今後の世界人口増に対応するためには、それほどの思い切った対策を不退転の覚悟で推進する必要があると考えられる。

 実際に、セネガルからジブチまでアフリカ大陸を横断するように植林して、砂漠の南下を防止する「緑の壁」プロジェクト(2007年~)が進められている。ケニアでは、マータイ女史が、グリーンベルト運動(1977年~)を行い、現在までに3000万本の植林を行っている。中国では、「緑の長城」プロジェクト(2000年~)が推進中で、「退耕還林(耕作地を林地に戻す)」運動による植林も行われている。とはいえ、砂漠の緑化は、厳しいものがあり、長期戦という。

 砂漠の緑化は厳しいとしても、世界には森林の木材を全て伐採し、放っておいただけでは元にもどらない山地が広大にある。これらを水源林として回復し、水源を確保した上で、周辺に耕作地を増やし、穀物生産を増やして行く必要があるのではなかろうか。各国とも自然を回復し、穀物生産を増やし、自給率の向上を図って行くべきである。食料自給率を高める事ができた国は、食料を輸出するより、ノウハウ・技術を提供し、各国の食料自給率向上を促すようにすれば、今後の世界人口増にも耐えられのではなかろうか。ちなみに世界人口は100億人に達するまでに飽和すると言われている。 

 今後の連載予定。
4.新旧社会の対比でみる各国の動き、日本の動き
5.次世代社会の先取り=東日本復興ビジョン

2011年5月25日水曜日

東日本復興ビジョン案に向けて(2)


2.危機的状態にある世界・人類文明

前回はここ

 大震災から離れて世界に目を向けてみる。かなり、相当に、きな臭い。ソマリアやアフガニスタンなどの崩壊国家の続出、イスラム原理主義によるテロ活動の頻発、中東諸国の政変、スーダンやジンバブエなどの継続的な内戦などなど数え上げればきりが無い。世界は不安定になっている。これらの裏には食糧不足があると言われている。エネルギーも紛争の種である。イラク戦争の裏に石油有り、グルジア紛争の裏に石油有り、尖閣列島もしかり。水を巡る紛争も世界各地で散発している。

 そもそも人類は、文明発祥以来、自然を破壊し続けてきており、ここ百年では化石燃料を多量に消費してきた。地球は悲鳴を上げたのか、怒り出したのか、ここ数十年で目に見えて、地球は温暖化し、人類文明に強烈なしっぺ返しを開始している。熱波に、寒波、大洪水に、大旱魃。しっぺ返しは、無差別に行われる。弱いところから倒れる。食糧不足は少しずつ顕在化しつつあり、食物価格は確実に高騰化している。

 温暖化は、植物が実をつける時期と動物が子育てに大量の餌を必要とする時期を狂わせ、ある種の動物を絶滅に追い込む。動植物を絶滅に追い込むのは、温暖化だけではない。ダムは、稚魚に必要な植物プランクトンの流入を阻み、防波堤は海藻を枯らす。除草剤や殺虫剤は、知らず知らずに人類を含む哺乳類の生存に必要なバクテリアや昆虫、小動物まで殺す。化学肥料は、人の体に有害物質を蓄積し、ゆっくりと寿命を縮める。材料や触媒として様々の化学物質が開発され、ある種の化学物質は、生物の生存に必要なオゾン層を破壊する。別の化学物質は、遺伝子さえ損傷させる。石炭・石油などの化石燃料の燃焼は、CO2を排出し、健康に悪い科学物質をまき散らす。車は、昔と比べて大幅に改善されたとは言え、未だに臭いガスを吐きながら走る。

 いずれにしても、人類文明は、特に近代文明は、地球誕生以来、40数億年かけて、自然がつくりあげてきたミラクルの積み重ねである見事なシステムを充分理解することなく、急速に破壊している。未来を犠牲にして、今の快適さを追求している。現在の生物の絶滅スピードは地球史上過去5回起きたといわれているどの生物大量絶滅より早いと言われている。ほとんどの生物学者が、今は、第6次の大量絶滅の時代と捕らえている。自然が、自然システム破壊の元凶である人類文明を本気で潰すべく、大逆襲を開始しているようにみえる。

 人類を取り巻く自然環境は、厳しくなっているが、継続的な人口爆発にブレーキはかかっていない。つい最近、世界人口は70億人を突破した。食糧不足が潜行しているなか、人口は膨張し続けている。さらに、中国・インドでは富裕層が急増、肉食急増。1kigの牛肉は穀物10kgに相当するという。食糧不足の拡大は、間違いなく紛争を増大させる。

 食物不足解消に、遺伝子工学応用の食物が開発されている。遺伝子を操作し、穀物を除草剤に強くすると収穫量をあげることができるという。遺伝子操作すれば、鮭が数倍の大きさに育つという。これらは既に実用化されている。またぞろ、自然を充分理解しないまま、自然を根っこから破壊しようとしている。将来への“つけ”が、また増えている。

今後の連載予定。
3.危機脱出に向けたうねり=次世代社会の模索
4.新旧社会の対比でみる各国の動き、日本の動き
5.次世代社会の先取り=東日本復興ビジョン

2011年5月16日月曜日

東日本復興ビジョン案に向けて(1)


1. 提案をする意義

 東日本の復興はどうするのか。誰もが、新しい街づくりが必要と考える。政府もその方向で動いている。もし、政府が常日頃から、次世代社会についてビジョンを持って、語り、動いていれば、一般市民も復興の方向性に予想がついたであろうが、残念ながら、今の政府に明確な次世代社会のビジョンはない。
 東日本復興計画! 為政者でない、ましてや、行政の立場にもいない、そんな人が考えて何になる。利権に絡まない、既得権益もない人が、純粋に未来を考える。そこに価値があると思う。利権や既得権益にまで、考えが及ばない若い人が真剣に考えれば、もっとすばらしい。たくさんの人が純粋に考えることに大きな意義があると考える。いろんな人が、いろんな立場で、いろんな復興プランを考える。誰かがいいことを言う。それはいい考えだと同調者が増える。それが一気に社会を変えるトリガーになる。現今のネットワーク社会はそのような動きを可能にしている。現実に復興支援をネットで呼びかけ、多くの人が応じる、被災者側もネットで支援要請をして、これにも答えるという事例が既に生じている。もっとも、これだったら皆が絶対賛同してくれるだろうというアイディアが重要であることは言うまでもない。ここで、書くことが、たくさんの人が考える呼び水になればと思う。
 日本人は、お上と下々という意識がしみついて、いまだに、お上のいうことには、黙って従う傾向にある。もう少し言えば、考えもせず、異論もいわず、おとなしく従っていた。しかし、日本のお上はレベルが低い、日本人誰もが感じているだけでなく、世界の常識になりつつある。これでは、先が思いやられる。近隣諸国からもつけいれられる。下々意識を捨てて、普通の人が今後の政治に関心を持って考えていく必要があるのではないかと強く思う。昨今のネット社会は、国民的議論を容易にしている。

 ここでは、今後、以下のように連載していきます。
2.危機的状態にある世界
3.危機脱出に向けたうねり=次世代社会の模索
4.次世代社会とは?
5. 次世代社会の先取り=東日本復興ビジョン

2011年4月24日日曜日

原発の全廃、再生可能エネルギー全面移行を


 先日、英語の勉強にと思って、テレビでCNNのニュースを見ていたら、日本の電力に関する話に移った。円グラフがでた。2020年の日本における再生可能エネルギーは3%。 それに対して、ドイツの2020年の再生可能エネルギーは、40%以上 と言っていた。 キャスターは、やおら古い電卓を手にした。シャープという言葉が聞き取れた。これはシャープの太陽電池付き電卓である。古くから技術を持っているのに、何故、再生可能エネルギーは、少ないのか。ドイツのように再生可能エネルギーに移行すれば、原発はいらないのでないか。英語そのものは聞き取れなくても確かにそう言っている。5分足らずで違う話題に移っていった。
 日本の電力に占める再生可能エネルギーは2009年1.1%、ドイツのそれは2009年16.1%。
 日本の電力に占める原発は、2009年29.2%、2019年41.0%予定。
 
 日本の電力における再生可能エネルギーは、現状ほぼ1%で、10年経っても3%。これでは誰がみても、日本政府は再生可能エネルギーなんか ”さらさら” やる気はない様に見える。口ではいろいろ言っても、数値がその気がないことを明確に物語っている。CO2排出削減が世界的に謳われると、再生可能エネルギーには見向きもせず、ここぞとばかりに原発の増設を計画したようにみえる。 現状、54基に対して、計画では2030年までに14基増設される。これでは外国メディアに指摘されるまでもなく、おかしい。なにかあると疑いたくなる。

 以下は、私の邪推である。
 政治家と企業と官僚が、癒着している。おいしい天下りがたくさんある。政治家も甘い蜜をたっぷりと吸っているに違いない。どんなからくりになっているのだろうか。
 発電コストを調べてみると原発でつくる電気が、一番安い。多分、原発を廃炉にする費用や使用済み核燃料の処理費用、開発費用などは含まれていないだろう。更に、今回のような福島原発事故の処理費用は入っていない。
 最初、電気料金が設定されたときは、原発は未だ存在しておらず、火力や水力の発電費用で計算されているはずである。そこに安い原発が入ってきた。どうなるか。市場の自由競争になっていない電力会社は電気料金を下げない。多大の利益がでる。政府は黙認する。
 どれだけの利益アップとなるか簡単に計算してみよう。火力や水力などの発電コストと原発の発電コストの差は~5円/kwh。日本に原発は54基、1基あたりの発電能力は0.9GW=900,000kw。原発の稼働率を70%とする。
 年間の利益アップは、
 5円/kwh x 54基 x 0.9GW/基 x 24h/日 x 365日/年 x 70%=1.5兆円/年
となる。
 原発が40年間続けば、60兆円。電力会社はおいしいし、官僚も政治家も黙って指をくわえていない。本来なら日本全体の了承がいるはずの原発の新設を、市町村とだけ交渉し、多額な交付金を餌に、了解を得る。了解を得たら、最後、ここぞとばかりにできるだけたくさんの原子炉を詰め込む。福島では第1、第2を合わせて10基、柏崎刈羽では7基、安全性は、どこかにすっ飛んでいる。安くできれば、できるほど利権は膨らむ。
これが、私の邪推です。

 邪推はさておき、安全性に関しては、地震や津波以外にテロをも考慮すべきである。相応の出費が必要であるのに「安全神話」が歳出を抑制した。使用済み核燃料に関しては・・・、これは厄介である。破棄と再利用という二つの選択肢がある。再利用は、使用済み核燃料を再処理して、もう一度だけ使用する方式と「核燃料サイクル」として、何度でも使う方式がある。破棄する場合は、使用済み核燃料を水冷する中間処理と、そのあと空冷し、地球深く埋め込み、コンクリートで固めるなど最終処理をする必要がある。
 日本は再利用をメインストリートとしている。しかしながら、一度だけ再処理して使うための再処理工場は、遅れに遅れて2年後完成予定で、現在はフランスに再処理を委託している。何度でも使う方式は、現在の核兵器に使われるプルトニウムが主体であり、冷却に金属ナトリウムを使うなど、危険きわまりない。そのため、ほとんどの国が開発を中止している。
 福島原発の事故処理で先行きが見えないなか、その実験炉である「もんじゅ」の再開をどさくさに紛れて、福井県知事が了承し、実質的に再開が決まった。この技術は順調にできたとしても実用化は2050年である。危険きわまりないといわれる技術の実験炉が、国民の目に隠れるかのように、こっそりとスタートOKになった。又、心配の種が一つ増えた。
 使用済み核燃料の再利用をあてにしていることから、破棄はおざなりになっている。使用済み核燃料を冷却するプールが満杯に近づいている。ましてや、最終処理は目処すらたっていない。
 破棄も再処理も先が見えていないのに、単に、日本の技術はすばらしい、日本の技術はどこよりも勝っているという単なる「技術神話」だけがある。きちんとはじきだせば、原発のコストは、非常に高くなると予想される。
 「安全神話」と「技術神話」が一人歩きし、原発の発電コストが、「安く」「安く」なっている。政府は、これら「神話」の最も熱心な信奉者で、CO2排出削減を格好の理由とし、国民の生命を賭けて、原発を推し進めてきた。

 今回の福島第一原発の事故を受けて、ドイツやイタリアはいち早く、建築中の原発をキャンセルした。ドイツは更に1980年以前に建築した原発7基を3ヶ月稼働停止にし、安全点検に入った。中国は重慶市と湖南省の原発建設プロジェクトを凍結した。インドやタイは原発建設計画の見直しにはいった。しかるに日本は原発政策の継続を表明した。そして、CO2排出削減の目標達成が無理だと表明した。まちがいなく国際社会にとって日本は不可解にうつっている。世界の空気が読めていない。CO2排出削減は、国際会議での駆け引きで一見、消極的にみえる米国や中国でさえ、温暖化に対し、強い危機感を持って取り組んでいる。再生可能エネルギーに多くの力を注ぎ、更にCO2排出を減らすために原発を推進しようとしている。そのようなかで、早々とCO2排出削減の目標達成は無理だと表明することは、世界の流れを理解していないことを自ら証明したようなものである。来るべき社会は、再生可能エネルギーを主体とした低炭素社会である。各国政府も各国国民もそれを見据えている。日本はそうではない、温暖化問題を軽視しているように見える。このままでは次世代社会に大きく乗り遅れる。

 いずれにしても、時代が変化するとき、その時、利権を持っている組織や人々が最大の抵抗勢力になる。世界が再生可能エネルギーへ向けて、大きく舵をとっているとき、日本では電力会社と政府や政治家が大きな抵抗勢力になっている可能性が高い。

 再生可能エネルギーは、まだコストが高いとか、不安定な電力をコントロールするスマート・グリッド技術が未熟であるなどの問題も残っているが、数々のメリットを有する。
  1. 地球温暖化の元凶である二酸化炭素を排出しない。
  2. 化石燃料が排出するSOX(酸化硫黄物)やNOX(酸化窒素物)のような汚染物質をださない。
    各国ともエネルギーの自給率をあげることができる。
  3. 古今東西、エネルギーを巡って国際紛争が絶えないことから、自給率向上は、国際紛争の低減に寄与する。
  4. 雇用を促進する。
    風力、太陽光、太陽熱、地熱、潮力、波力等々バラエティに富んでいる上、小型分散型であり、スマート・グリッドも様々な手法があるなど、雇用は多い。
  5. 小型、分散であることから、自然災害に強い。
    個々の装置単位でみると、災害に弱くても、災害が起きたとき、多くの装置が無傷で生き残る可能性が高く、全体でみると災害に強いと言える。
  6. テロや人災に強い。
    小型・分散システムは誰も襲おうとは思わない。ミスや故意で人災があったとしても、小型・分散システムでは被害が軽微である。
  7. 地方の活性化につながる。
     

 きたるべき社会は、間違いなく、再生可能エネルギーを主体とした低炭素社会である。日本が、そのような社会を目指すことを表明し、努力すれば、国際社会も日本の復興を今後とも支援し続けるであろう。そして、原発が無い世界を実現し、広い土地がありながら、わざわざ地震地帯に原発を建てている中国や、日本と同じような地震多発地帯であるフィリピンに原発がなくてもやっていけることを示すべきだと考える。

 もし、日本が原発推進を今後も継続すれば、国際社会からは不信感をもたれ、近隣諸国からは白い目でみられるだろう。万が一にでも、再度、原発事故を起こせば、日本は国際社会から見下されるだろう。そして、今は、米軍が援助以外にも警備の役割を意識的に担っていると言われているが、そのような援助もなくなり、抜け目のない近隣諸国から蹂躙されるだろう。

 身近な人も含めて、多くの人が、原発を捨てて、再生可能エネルギーへ移行すべきだと言い始めている。しかし、抵抗勢力は、上述したように、かなり強力である。かなりの決意を持って、抵抗勢力を押さえ、原発を全廃し、再生可能エネルギーに移行すべきと考える。

(参考)
ドイツの再生可能エネルギー情報 (2000年~2009年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Renewable_energy_in_Germany

日本の2010年エネルギー白書
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2010energyhtml/2-1-3.html

2011年4月14日木曜日

日本に原発はあってはならない


 日本に原発はあってはならない。そう確信している人、よくはわからないが、原発に不安を感じ、原発はないほうがよいと思う人、原発はないにこしたことはないが、エネルギーや経済を考えればしかたないという人、いずれにしても個人個人に密接にかかわるエネルギーや安全に関する大問題である。そして、今後どうするか、一人一人に投げかけられる問題であり、いずれそう遠くないときに、日本全体として答えを出さなければならない問題である。
 
日本における原発を考えてみる。

  1.地震大国でありながら原発大国であり、計り知れないリスクを抱えている。

 日本は、太平洋プレート、フィリピン海プレート、北米プレート、ユーラシアプレートと4つものプレートに隣接もしくその上にあり、地震の巣の上と言われるほど地震が多発する地震大国である。 そして、狭い国土に多くの人々がひしめきあって暮らしている。(国土面積61位、人口9位、人口密度5位) このように人口密度の高い狭い国に54基もの原子力発電がある。(原発保有基数3位)
 近年、世界的に大地震が頻発しており、日本でも確かに増えていると感じさせられるものがある。 人々の記憶に残っているであろうと推察される最近の地震をあげてみる。 1993年奥尻島地震M7.8、1995年阪神淡路大震災M7.3、2000年鳥取県西部地震M7.3、 2004年新潟県中越地震M6.8、2007年新潟県中越沖地震M6.8、今回の2011年東日本大震災M9、続いて起きた長野県北部地震M6.7。
 地震学者は口を揃えて、東海地震、南海地震、東南海地震が、そう遠くない将来に必ず起きると予測している。 大地動乱の時代と呼ぶ地震学者もいる。 4月8日の日経新聞は、「東海、東南海、南海の3つのプレート型地震が連動して起きると、宮崎県沖の日向灘でも地震が同時発生して巨大地震となる恐れがあることが7日、文部科学省の研究プロジェクトの成果でわかった。想定4地震の断層は長さ700キロに達し、マグニチュード(M)9クラスの巨大地震になる可能性もある」と報じた。

 日本の原発は、ほとんどが老朽化している上に、一カ所に原子炉が集中している。若狭湾では14基、福島は第一と第二を合わせると10基、柏崎刈羽原発は7基である。福山第一は6基で、集中していることの危険性は、大震災後のTV報道をみれば、一目瞭然である。 更に、原子炉建屋の最上階で、使用済み核燃料が水冷されている。使用済み核燃料を原子炉のすぐそばに置くことの危険性も、連日の報道から誰の目にもあきらかである。

 いずれにしても、最も危険な場所(世界トップクラスの地震多発地帯)に最も危険なもの(原子力)が、最も危険な方法(原子炉の集中と原子炉建屋内での使用済み核燃料の保管)で設置・配置されている。

2.見通しのくらい使用済み核燃料の処理

 原発は、核燃料の核分裂でエネルギーを得て、発電を行っている。 核燃料ウランは分裂して、大きなエネルギーと放射線をだしながら、元とは違う物質(セシウムやヨウ素など)になる。 このときのエネルギーが大きいので、効率の良い発電として使われる。
 核分裂を終えた核燃料が使用済み核燃料である。これがやっかいである。今度は分裂ではなくて、放射線を出して違う物質になりながら、崩壊する。崩壊エネルギーは高くないので利用されることはない。とはいえ、崩壊は、核分裂生成物によっては数万年にもおよぶ非常に長い期間にわたり、放射能と崩壊熱を出し続ける。意図しないのに再度、臨界点を超えて核分裂を開始する可能性があるので、冷やし続ける必要がある。現実的には、長期にわたる水冷で、ある程度冷やす。その後は空冷で冷やす。そして温度が充分下がったことを確認して、ガラス化するなど固化して、地下深く埋め込む。このようにして廃棄するには約10年はかかると言われている。

 別途、方策として、使用済み核燃料を再処理して、再度使える様にする方法がある。繰り返して、使用することができれば、核燃料の問題は、大きく改善される。フランスは、使用済み核燃料をもう一度生き返らせる再処理技術を持っている。この技術でできた核燃料がいわゆるMOX燃料である。このMOX燃料は既存の原子炉で使うことができる。日本は、この再処理をフランスに依頼し、MOXを作ってもらい、輸入して浜岡原発や福島第一原発の一部で使っている。 

 使用済み核燃料を何度でも繰り返し使う技術は、どの国も実用化できていない。 日本はこの技術がいずれできることをあてにして、使用済み核燃料を原子炉のそばで水につけて保管している。廃棄する方策はとっておらず、当然その技術は進展していない。使用済み核燃料の保管スペースに余裕がなくなって、密度をあげて保管されているので、危険度は増している。(昨日、4月13日発生、福島第1原発4号機の異常原因) 

 日本の再処理技術は、未熟で再処理工場建設計画は、ほぼ20回にわたる延期を繰り返し、建設予算の見積もりもどんどんあがり、今では2兆円以上になっているとのことである。今の計画では2年後にできることになっている。
 何度でも繰り返して使う技術も検討されている(もんじゅと名付けられた原子炉で実証実験の予定)が、これも遅れに遅れて、こちらは見込みすらたっていない。   使用済み核燃料を廃棄する方策は、全くと言っていいほど進めておらず、本命とされる核燃料を繰り返し使う技術は遅々として進んでいない。 一方で使用済み核燃料はどんどん増えていっている。
 外国はどうか。日本ほどひどくはないが、悩みは共通しており、外国に頼ることもできない。(わずかにMOX燃料は、フランスに頼っている) 使用済み核燃料の最終廃棄場所は米国もロシアも用意できていない。

 日本における使用済み核燃料は、逃げ道(廃棄)もなく、前方(繰り返し使う技術)も塞がっており、追っ手(使用済み核燃料の増加)がどんどんせまっている、という状況である。逃げ道に対しても、前方に対しても、日本には技術がある、日本の技術はすばらしいという、現実とはかけはなれた「技術神話」がまかり通っており、お寒い現実を覆い隠している。

3.日本には危機意識が欠乏しており、ましてや危機管理意識はない。日頃からほとんど考えていないので、重大事故発生時の対策は付け焼け刃で、後手かつ不十分

 日本は、明らかに、今でも平和ぼけ、高度成長ぼけから抜け出せていない。 このところ近隣諸国から頬っぺたに平手を食らわされて、わずかに変わってはきているが・・・。
 いくつもの危機が、日本を、そして、世界を襲っているが、日本はあまりにも無頓着である。 見て見ぬふりなのか、いや、ぼけ過ぎて見えていないような気がする。
 いくつもの安全保証を考えなければならないのに、ほとんど考えられていない。危機を感じていないから、考えられないのだ。ましてや、危機が起きたときの管理を、考えているはずはない。テロや核攻撃に対する処理を本気で考えている国とは雲泥の差である。
 今回の原発事故に対しても、事の重大性に気がついていないような気がする。日頃全く考えていないので、当然のことながら、対策は付け焼け刃である。命をかけた仕事を、そのように訓練されていない一般のサラリーマンの使命感にのみ頼るような状態になってしまった。 緊急にいろんな分野から手厚いサポートが、要るであろうに、後手、後手に回り、個々の対策が不十分である。まさに試行錯誤の連続、モグラたたきの感は否めない。1ヶ月たっても、深刻さが増すだけで、解決の目処すらたっていない。

 今回の事故の被害は、既に甚大である。 今後の健康被害、経済被害は、計り知れない。 日本国民のみでなく、世界に与えた精神的ストレスは如何ばかりか。時間とともに日本たたきが増大するのは目に見えている。

 日本の原発推進者は、国民の生命と安全を楯にして、技術的な綱渡りをしている。賭をしている。彼らに「何か隠しているのではないか、情報公開を」と迫っても埒があくはずもない。
 政治主導と謳って、自らの無能力をさらけ出した政治家が、原発事故の処理を主導している。近隣諸国からあなどられ、管理能力不足が世界の公然(?!!)となった日本の政治が、最大級の国難処理にあたっている。おおいなる国難、世界の不幸と言わざるを得ない。

 原発の技術は、急進展しない。安全管理意識も安全管理手法も急展開しない。今の日本には、原発を保持する能力はない。地震大国、小面積国、多人口という日本の特殊事情を合わせて考えると日本は原発を持ってはならない。

 世界を震撼させる放射線障害や日本の原発事情は、知れば知るほど、「経済を考えるとしかたない」から「不安を感じる」へ、更に、「日本に原発はあってはならない」に必然的に変わる。

 本で、これ以上原発を増やすことは、国民世論が許さないであろう。しかし、それだけでは危険な既存の原発が残り続ける。少々安全対策が強化されたとしても、危険性はほとんど変わらない。
 今後、積極的に、原発の全廃を求めていく必要がある。

 原発はなくとも、前回コメント頂いたように再生可能エネルギーがある。

2011年4月6日水曜日

他の原発も危ない

知人から1997年に原発の危険性を警告した石橋克彦神戸大学名誉教授の情報が送られてきた。 1997年にタイムマシーンにのって2011年に起きた事故をみて書いたのかと錯覚するほどそっくりなので、驚かされる。 地震、津波、原子力発電が停止したとしても、電力系の故障による水冷の停止、水素爆発と続く。 さらに・・・・。 書かれた当時は、誰も想像していないことなので、当然とはいえ、何故そう予想されるのかと専門家らしく分析している。 大きく異なるのは、震源が宮城沖でなく、東海沖であること。心配の主な対象が浜岡原発であること。
 
地震学者は、口をそろえて、いつとはいえないが、必ず東海沖、東南海沖、南海沖で大きな地震が起きるといっている。 ということは、次は浜岡原発が危ないということになる。 石橋氏によれば、日本海側も大きな地震が起きる可能性が高いと言う。 柏崎刈羽には7基の原発がある。 若狭湾は原発銀座と言われ、14基の原発がある。
原発の多くは、老朽化していると聞く。 そして、原子炉が集中しているとも聞く。 そうであれば、その他の原発も危険である。
 
そもそも原発が最初に作られていたときから、大きな原発事故は、必ず起きるといわれていた。 複数の事故原因が重なるとしたら、それを組み合わせた数は、膨大となる。 複数の事故原因が連続して発生することを想定し、対策を考えておくことは、不可能と指摘されていた。 そして、そのうちの一つ一つに大きなお金がかかるとしたら、必然的に対策範囲が狭くなる。 対策しきれないという指摘は、今回の原発事故に的中した。 今後、対策を増やしたとしても対策しきれるものではない。 当時と違って現在では、テロの心配もある。

使用済みの核燃料の保管場所も残りスペースがなくなってきているという。 その保管場所も一時的なもの(長期間にわたって冷やす)で、別途、最終的な保管場所(閉じ込める)を確保する必要があるが、目処がたっていないとのことである。 当初は、海底を考えていたようであるが、現在、海底保管は国際法で禁じられてしまったとのこと。

原発の建設にあたり、ここには活断層はありません、一万年前にさかのぼっても地震は発生しておりませんと言って、地元を口説いてきたという。
活断層は次から次へと見つかっており、活断層が無くても直下型の大地震が起きる。 又、地震がおきた箇所の地震調査にも抜けがあることが明確になってきている。 調べ尽くしたかどうかにわからないのに、1万年にわたって地震がおきてないと主張するほうがおかしい。 誰が保証したのか。 一万年おきていないことも保証になるのか。 今回の大地震は、この一万年で最も大きいかもしれない。 

石橋克彦氏によれば、
「日本のような地震の巣となっているところでの原発は、大きな賭である」
といっている。 国民を担保にした賭で、今回、大きく負けてしまった。未だ、どれだけ負けたか決着がついていない。 負け度合いが益々広がる可能性もある。

更に石橋氏は、
「地震の巣上での原発は、近隣諸国にとっても迷惑千万だ」
と続けている。  汚染の広がりが大きければ、世界中に迷惑をかける。

今回の福島第1原発の事故を受けて、国際的な安全規格を作る話が、浮かびあがっている。
先ずは、原子炉は一カ所に集中させない、使用後の核燃料を原子炉の側に置かないことが検討されているとのことである。 新国際規格ができれば、日本のほとんどの、いや全部の原子炉は規格を満たさないことになる。

核燃料を繰り返し使う技術も検討もされているが、これは遅れに遅れており、できるとは考えにくい。(もんじゅのこと)

電力会社は、今回大きな事故がおきたにもかかわらず、今後とも作り続けることを表明する可能性がある。 これは国民が許さないと予想されるが、強く反対しないと、また、だまされることになる。 今回の政府や東京電力の対応をみていると、全くこころもとない。

現在、稼働中の原発は、今回の事故を踏まえ、ある程度対の策はとられるだろうが、保証できるものではない。 

今後、新規原発は許してはならないし、現存の原発もできるだけ、早く閉じさせる必要がある。 そうしないと安心して暮らしていけない。

世界的に、不気味にも、大きな地震が続いている。 次はどこかの原子炉を直下型の大地震が襲うかもしれない。

昔と違って今は、再生可能エネルギーという手もある。 ここは腹をくくって、全ての原発を捨てて、再生可能エネルギーに移行していく必要があると考える。  膨大な事業になるが、政府も国民も一致団結して本気で取り組めば、必ずや十数年でできると推察する。

以下、ネット上でみられる情報です。

石橋克彦 神戸大学名誉教授の1997年の資料は、ご自身が発信しておられる以下のURLからみることができます。 知人からはこのURLが送られてきました。
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/2011touhoku.html

御前崎市在住の大橋氏による「浜岡原発は本当に大丈夫なのか」
  注:浜岡原発は御前崎市にある
http://hamaoka2009.ciao.jp/
浜岡原発は海外から世界一危険と指摘されているとのこと

京都民報Web : 「若狭湾原子力発電所 ただちに総点検を」
http://www.kyoto-minpo.net/archives/2011/04/04/26_14.php
あらためて地図を見させられると京都、大阪、奈良、神戸どこも若狭から近いなあと感ずる

「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」
http://kkheisa.blog117.fc2.com/
第二、第三の「福島原発震災」が再現する可能性・・
とくに、2007年の新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発、・・・・

「3/17 福島原発の現状と、今後予想される危険~後藤政志さん」youtube
http://www.youtube.com/watch?v=etcASxPNzeU&feature=related
これをみると福山第一原発は、予断を許さない深刻な事態がまだまだ続く。
まさに薄氷を踏む思い。

2011年3月31日木曜日

震災被災者に元気になってもらうために

TVを見ていると震災被災者の方達は、当面の避難を乗り越えて、将来を心配し始めたようである。 とは言え、まだまだ、大変な生活が続く。
目覚めた瞬間から、洗顔・歯磨き・トイレ何一つ満足にできない。寒さに震え、地震におびえ、いつもそばにいた肉親に思いを馳せ、未だ会えぬ友を気遣い、自分の家と同じ状態の瓦礫の山をみる。 その中で、将来の不安が頭の中をよぎる。
このような被災者にしてあげるべきは、なんなのだろうか。 将来の不安を少しでも取り除いてあげることができるのは何なのだろうか。 とりあえず、プラバシーが保たれる住居を提供することも重要だと思う。 しかし、将来に渡って仕事がある、収入があるという見込みは、被災者を最も力づけると推測する。 それも今から仕事ができて、少しの収入でも得られれば、被災者は間違いなく、大いに元気づく。つらい現実をつかの間でも忘れることができる。

被災者自らを推進主体とする震災復興事業の立ち上げである。 事業といっても大げさなものではない。最初は、トイレ用の穴を掘る、炊き出しをする、動けない人の世話をするのも仕事のひとつである。 先ず、被災者を複数のグループ、例えば避難所単位、に分けて、何をするか、議論をしてもらい、行動を起こしてもらう。 被災者に頭も体も使ってもらう。 つまり、自助互助を支援する。 日当は、均一で全ての被災者に支払う。 動けない人にも子供も一律とする。 事務処理の簡素化とスピードを要するため、細かいことは一切いわない。もちろん、多大の自治体や政府の支援、ボランティアの支援は必須である。 要求や支援内容についても、積極的に発言してもらい、動いてもらう。 受動的な支援受け入れでなく、能動的な支援受け入れである。 被災者の生き甲斐ややる気の喚起が主目的であるから、例え成果があまりでなくとも一切問わない。全ての被災者に例えば日当5千円としても年間100億円未満、倍の日当でも200億円を大きく下回る。復興費が10兆円とか20兆円とかいわれているなか、元気をだしてもらえれば、これは安い。

今までとは違う新しい町づくりプランが、必要と誰もが思っている。 来るべき低炭素社会を考えると、エコタウンとかコンパクトシティになるのではないかと思う。
エコタウンは、日本を含む世界中で実証実験が行われており、コンパクトシティは複数の自治体で検討されている。
必ずやそのような町作りプランがでて、本格的な再興事業が始まるだろう。その時は被災者を最優先で採用し、働いてもらう。 町づくりもプラン段階から参加して貰い、被災者住民の意見を反映したものにする。

町作りが軌道に乗れば、地場産業やビジネスの立ち上げがメインになる。 被災者、住民が完全に全面にでて、新たなコンセプトの新たな町で被災者が、力強く独立していく。
震災前よりも町が栄えていく。

このような青写真を被災者に示し、実行し、被災者に元気になってもらうのはどうだろうか。

現法律では、復興支援は自治体が主体で、国はその補助をする、更に、国はお金ではなく、現物支給をすることになっているとのことである。
被災者に元気になってもらうには、お金も必要とのことで、鳥取地震のときには、当時の片山知事、現片山総務大臣が、県の権限として、お金を支給したとのことである。
このようにお金の支給には前例がある。

震災復興全体で見れば、非常に大きな費用が必要で、既に10兆円規模の予算が考えられている。 震災復興限定の増税も考えられている。
震災前からデフレ対策として、大きな財政出動を主張する経済専門家もいる。 国の借金が多いといっても、海外に借金しているわけではない。国民に借金しているだけなので、財政出動は、デフレ損を上回って問題ないとのことである。
自分には判断する力はない。 しかし、被災者を元気にし、エコシティやコンパクトシティなど、来るべき低炭素社会の基盤技術を育成し、更に、地方を活性化させると期待できる財政出動は、将来に大きなリターンが期待できる。 全く問題がないと推察する。問題がないというより、実行すべきではないかと考える。

被災者は、一見元気に見えても、精神的なダメージは想像を超えるものがあると思おう。
いわゆる経験したものにしかわからないという世界だと思う。
千年に一度の大震災というのであれば、千年に一度の大変化であろう。非常に多くの人の前で、その人たちが大事にしていたものが一瞬に消え去ってしまったのだから。

問いかけは、「震災被災者に元気になってもらうには、どうすべきか」である。
たくさんのアイディアがあって、しかるべき。
あなたも考えてみませんか。

たくさんのアイディアが重なり、純化され、行動となり、被災者が元気を取り戻しますように。

2011年3月29日火曜日

福島第1原発、まずは、現場対応者に思い切ったインセンティブ・メッセージを

CNNのニュースをみていたら、福島第1原発の報道を始めた。
防御服を着た人達が原子力施設に入る姿を写し、ヒーロー達だと紹介し、讃えていた。

原発事故処理で予断を許さない状況が続いている。
事故処理を作業する人には、高い技術が要求されており、誰でもができるものではないという。 必然的に対応できる人は限られる。 現実的に、不眠不休で食事もろくに取らずに対応しているとのこと。 厳しい原発事故処理が、長期にわたることを考えると、今のままでは、もたない。 現場の人たちの使命感だけでは、無理がある。

政府には戦時体制で臨むべきと言いたい。 つまり、経済性は度外視して、国をあげて、思い切って知的、物的、労働力を投入し、外国にも多大の支援を要請するなど、全力で事にあたるべきではないでしょうか。 なにせ6基も並んでいるのだから、最悪が起き得ることを想定した対応が必須ではなかろうか。
 
現場での志気を維持するためには、従事期間に多額の報酬と事後の補償の保証を事前に提示すべきではなかろうか。 特に、送り出す家族の補償を充分に考慮し、送り出す不安を少しでも和らげる必要がある。

将来に禍根を残さないように、世界に、近隣諸国に迷惑をかけないように、何にもまして、国民を守るために、政府は思い切った手を打つべきである。

原子力発電は、ほっておいたら暴走する核分裂を抑制・制御しながら、平和利用をしている。 その抑制・制御がおかしくなっているのだから、大変なことである。
最悪はチェルノブイリの6倍、それ以上かもしれない。
大震災の復旧作業と比較して、一般の国民には手が出せない。一般人ができることは、このような大胆な手法をサポートし、後押しをすることしかない。

思い切った財政出動を! できるかぎりの最大限の対策を!
大きな財政出動をためらってはならないと考えます。
今の今に至るまで、経済のことは誰もわかっていないのではないでしょうか。
大出費は、好転につながる可能性も秘めている。 歴史が、それを示している。
そして、なにより経済は目的でなく、道具である。
この緊急事態に、道具をフル活用しない手はない。

世界に被害が拡大しないように、何よりも日本を守るために、国民を救うために、大財政出動をいとわず、経済を武器の一つにして、最大限対策が行われるように提言します。
この小さな提言が多くの人によって、膨らんで、もしくは、より正しい方向に矯正されて政府に届いて、実行されますように。

2011年3月29日