2016年7月3日日曜日

健康(13)– 肺に腫瘍・退院後

健康(13)– 肺に腫瘍・退院後


検査入院  禁煙  癌病棟  手術後 の続き

 喘息を治そうと思って入院の数年前から早起きして毎日歩いていた。自分流のストレッチも行っていた。運動が習慣になっていた。手術後は入院中も軽い運動をしていた。退院後、手術の強い痛みはかなり残っていたが、出社するまでの数日間よく歩いた。近くの山の尾根伝いに何時間も歩いた。
 
 全てが順調ではなかった。

 入院中、担当医が私の肺から水が抜けないといって不思議がっていた。肺から水を抜くための薬を飲まされてはレントゲンを撮られた。退院後も何度もレントゲンを撮られたが、結局水が抜けたという確証は得られなかったようだ。
 
 手術の傷口が癒え、痛みがとれても傷口のある背中とは反対の腹側の心臓の下あたりに違和感が残った。そしてストレッチで前屈をすると心臓の下がこむら返りを起こす。この違和感とこむら返りはでたりでなくなったりする。手術から14年経った今でも続いている。数日前、心臓の下がぴくぴくと痙攣する。今まで経験したことはない。これはやばいと思ったが、こむら返りも回数は少なくなっており、小さくもなっているのでこのまま様子を見ようと思っている。
 
 喘息も完全に治ったとはいえない。喘息は気管支の恒常的な炎症であり、治療は極微量のステロイドを吸い続けること。普通の病気だと少し回復すると薬を飲まなくなるのが通常だが、喘息を患った人は、発作の苦しさが骨身にしみているので、続けられるとのこと。私も未だに吸引している。
   
 とはいえ、禁煙から14年、肺の調子は確実によくなっている。新たな問題は、体のことをあまり気にしなくなり、朝の早起きも散歩もあまりしなくなったことである。季節の変わり目に喘息気味なると無理はやめとこうとか、花粉の季節になると外を歩くのをやめようとか守りの姿勢にはいってしまう。
   
 これではよくないと思ったが、朝は早く起きられない、長時間歩く気にもならない。朝早く起きられなかった分を取り戻すため、また、短時間で運動を終わらせるため、最近、ジョギングを始めた。以前の私では考えられなかったことであるが、30分近く走ることができる。こんなに回復しているのかと我ながら驚く。でも暑くなってきたので、ジョギングはやめようかという気分になっている。
   
 喘息になって、これはやばい、なんとかせねばと思ってから、朝の早起きと散歩を習慣にすることができた。肺に腫瘍が見つかってから禁煙もした。しかし、喘息発作の回数が減り、肺の調子がよくなるにつれ、運動の意識が薄れてきた。
 
 今までの経験からして、健康を害してから健康を考えるのでは遅い。概して健康と思っているときこそ、健康と運動を意識しなければならないだろう。病気予防さらには健康長寿のため、攻めすぎは問題かもしれないが、攻めの姿勢で運動を確実に習慣にすべきではないかと思っている。
 

2016年7月2日土曜日

健康(12)– 肺に腫瘍・手術後

健康(12)– 肺に腫瘍・手術後


検査入院 禁煙 癌病棟 の続き

 癌では無かったですよという女医先生の声で麻酔から覚めた。
 
 体中に何か付けられていて、目の前は計測器だらけ。隣のおじさんは肺を半分取ったのにその日のうちに夕食を食べていた。私は肺の一部しかとっていないのに食事が食べられない。食べたいという気が出ないほどくたばっている。数日先に肺活量の検査があった。隣のおじさんは肺が半分なのに私よりだいぶ肺活量がある。癌ではなかったが、私の肺はかなり悪かったようだ。
 
 次の日から食事がとれた。背中から管がでている。背中には液体が入ったものを背負わされて普通に歩かされた。背中の液体の中は自分の吐く息が泡となってでていたように思う。今から思えば背負わされたものは何であったのか、何の機能を果たしていたのか、何故何も聞かなかったのかと不思議である。手術後の痛みに耐えることや普通ならなんでもない日常生活を送るのに一所懸命であり余裕が無かったのだろうと今推察する。
 
 家族は他の人と比べて直ぐに帰ってきたので、手遅れだったかと一瞬思ったそうであるが、腫瘍が良性であったと知ると私に対する不満が一気に噴き出した。これで家族が受けているストレスがわかった。
   
 この話を隣の患者さんの母娘にすると二人が同時に急に堰を切ったように、自分たちは如何にストレスを受けているか、それが本人にわかっているのかと言うようなことを、大きな声で私に一気に話してきたので吃驚した。
   
 この病院では注射タイムというのがあって、数人の看護婦さんに行列を作って並んで注射をうってもらう。どの看護婦さんにあたるかは事前にわからない。ここでも注射の下手な看護婦がいて、みんなその看護婦さんにあたることを嫌がっていた。注射のあと、あの看護婦さんにあたらなくてよかったとか、今日は運が悪かったとかが話題になっていた。
   
 20年前の入院は長期にわたったこともあり、注射の下手な看護婦さんには恐怖を感じ、悪人に見えた。想像するに注射の下手な看護婦は自分が下手のことに気がついていないのではないか。看護婦さんを怒らしてしっぺ返しを想像するので直接言うことは憚られる。間接的にいうべきだったかもしれない。
 
 私の腫瘍はいろいろ調べたが、わからなかったとのこと。

2016年7月1日金曜日

健康(11)– 肺に腫瘍・癌病棟

健康(11)– 肺に腫瘍・癌病棟


検査入院 禁煙 の続き


 約束の1ヶ月後病院へ行った。禁煙は約束の半分しかできていない。特に確認されなかったので、何も言っていない。すぐに入院することになった。入院したところは、6人の大部屋であり、直接的に間接的に聞いて、周りの人は全員癌であることがわかった。みんな大部屋にいることを喜んでいた。もし個室であればふさぎ込むであろうが、大部屋では、お互いに情報交換もできる。同じ悩みを話していれば、気は紛れるし、元気づけられもする。でもこの部屋にいる人は手術で助かる可能性を持っている人たちである。3階には手術できない癌患者ばかりで雰囲気が暗いという。周りの人は入院後1~2日後手術が行われるのに私は2週間近く待たされた。検査で禁煙期間がわかるのかな? 喘息持ちの手術は危険で私の体調を見計らっていたようでもあった。

   肺癌手術でも手術が終われば普通に食事をし、そして次の日からは歩かされる。しかし、体には管が入ったままで、背中には器具を背負わされている。 

 手術の日が近づき毎日種々の検査が行われたが、垣間見える検査結果から私は癌では無いと思った。手術の前日、麻酔医の方がこられて私の体を触診された。私の体は麻酔医泣かせで麻酔注射を打つ場所がわかりにくいとのことであった。麻酔は背中に注射される。以前の盲腸の時も背中に注射された。あの時、私には麻酔があまり効いていなかった。多分注射が少しはずれたのだろう。

   手術の前日、担当医から妻と娘同席で手術内容について話があった。手術で真ん中の太い気管が傷つくと即死になりますが、そんなことが起きないように手術します。と切り出された。おいおいそこから始まるのか。腫瘍がある左の肺は上下二つに分かれています。ちなみに右肺は三つに分かれています。腫瘍は左上の肺の下方にあります。腫瘍部分を切リ取って直ぐに癌かどうか検査します。腫瘍が癌で下の肺にまで達していたら、左の肺全部を摘出します。そうでなかったら肺の上部を取ります。喘息を持っているので喘息の発作が起きたら危険です。腫瘍が良性であっても取り除きます。
 
 私の直前に手術された方は、手術室からすぐ帰ってこられた。聞けば既に手遅れだったとのこと。動揺しておられるふうもなく、いつものように淡々と何事もなかったように雑談されたのには驚かされた。

 しばらくして、私の番になった。手術台に乗せられて大部屋を出て行くときの自分を覚えている。20年前の手術ではとにかく痛くて早く切ってくれとの一心だった。痛くて朦朧として手術台に乗せられたことも記憶にない。今回はどこにも異常が感じられない。2週間近くの病院で日頃の疲れはとれている。禁煙も1ヶ月になる。喘息の気配もない。体はぴんぴんしている。それだけに不安が忍び寄る。危険かもしれないところに敢えて突き進む高揚感のようなものもあった。手術室に着くと直ぐに麻酔を打たれて数を数得るように言われた。五つも数えないうちに意識をなくした。