2023年12月16日土曜日

 気象あれこれ コリオリの力(5)

金星のスーパーローテーションの謎にせまる
       ーーもう一つのコリオリの力に市民権をーー

過去の記事   
コリオリの力(4)
コリオリの力(3)
コリオリの力(2)
コリオリの力(1)

 回転している地球そして惑星には、動いている物質(気体も液体も含む)の速度と質量に比例した力が働きます。これがコリオリの力です。式で表せば F=2Vω となります。Fが力でmが質量、が速度です。コリオリの力は地表に平行に動く物質に力(F=2V*ω)が働くと同時に地表に垂直に動く物質にも力(F=2Vω)が働きます。

 地表に平行に動く物質に働くコリオリの力は非常によく知られています。台風や竜巻、つむじ風、風呂の栓を抜いた時の左巻きの水の流れなどです。これらの渦は北半球では、左巻きですが、南半球では右巻きになります。このコリオリの力は赤道直下ではゼロで北極点、南極点で最大になります。

 それでは地表に垂直に動く物質に働くコリオリの力はどうでしょうか。北半球も南半球も同じ方向に力が働き、北極点、南極点ではゼロで、赤道直下で最大になります。このコリオリの力で説明されている現象はほぼ皆無と言っていいでしょう。前回、赤道反流は垂直に動く大気の流れにコリオリの力が働き、起きている可能性を示しました。しかし、定説になっているわけではありません。

今回は、これはと思うものをもう一つ示します。それは金星の大気の流れです。

地球、火星、金星などの大気の流れを下図に示します。この図はJAXAの
金星の気象学-惑星の気象学とスーパーローテーション ←クリック
にある図です。


 上図の地球や火星の大気における極循環、フェレル循環、ハドレー循環、偏西風、編東風もすべて、地表に平行に動く大気に対するコリオリの力で説明できます。それに対し、金星やタイタンで起きているスーパーローテーションはよくわかっていないといわれています。

 コリオリの力は、地表に対して平行に動く気体に対して、働くのみならず、地表に対して、垂直に動く気体に対しても働きます。私は、金星やタイタンで起きているスーパーローテーションは地表に対して、垂直に動く気体に対しても働くコリオリの力によるものと考えます。

以下は金星に関するJAXAの記事の抜粋です。
ーーーーーーー
『金星は大きさや重さは地球と似ていますが、惑星表面の環境は地球と大きく違っています(図1)。 たとえば金星の大気は二酸化炭素(96.5%)を主成分として、あとは微量の窒素(3.5%)などです。 大気の量が大変多いため、地表面での気圧は約90気圧もあります。この圧力は深さ900mの海の底と同じです。 約45 kmから70kmの高さには濃硫酸からなる雲があります。 この雲は地球の雲と違って惑星全体を完全におおっていて、そのために外部から大気や地表面を観察することは困難です。

金星の大気大循環はどうなっているのでしょうか。 金星の自転周期は243地球日であり、赤道での自転速度は1.6 m/秒しかありません。大気と地面は絶えず力を及ぼしあっているので、このように自転の遅い惑星上で吹く風は自転と同程度に遅いと予想されます。 例えば地球の偏西風は30 m/秒程度ですが、これは赤道での自転速度460 m/秒の1割にも達していません。


しかし金星の滝循環はこのような予想とは全く違っていました。 1974年に米国の探査機マリナー10号が連続撮影した画像によれば、 雲はどこでも自転と同じ方向に 100m/秒もの速さで流れ、約4地球日で1周していたのです(図2)。 

これは大気が地面の60倍もの速さで回転していることを意味します。 金星にこのような風が吹いていることは、実はフランスのアマチュア天文家が1957年に先に発見していたそうです。 しかし同じころ地上からのレーダー観測によって金星の自転速度が大変遅いことがわかったため、 4日で1周する風などありえないと決め付けられて、長らく無視されていたということです。

この不思議な風は「スーパーローテーション(超回転)」とか「4日循環」とか呼ばれています。 その後着陸機が大気中を降下しながら観測したところ、風は高度65 kmくらいまで高さと共に強くなっています(図3)。

大気には粘性(ねばっこさ)があり、地面との間で摩擦が働くので、特別なしくみが働かないかぎりこのような風の分布は徐々に均されてしまい、 最終的には自転速度と大差ない風速に落ち着くはずです。 地球を基準に考えると大変不思議な風です。
ーーーーー以上、JAXAの記事の抜粋でした。

  更にJAXAの記事では、スーパーローテーションの原因として3説が書かれています。そして3説とも、原因を硫酸の雲とその下にあるとしています。どれも決め手がなく、まだよくわかっていないとのことです。

 私は、このスーパーローテーションは硫酸の雲の上の大気にあると考えます。硫酸の雲の上の大気が地表に垂直に動き、垂直に動く大気に働くコリオリの力によるものだと推測できます。コリオリの力によるという説は、3説に入っていません。

私の推測を以下に示します。

  • 硫酸の雲とその下の高圧なCO2層は、地球の海に相当するのではないかと考えます。
    というのは上記のJAXAの記事に
    「金星の地表面での気圧は約90気圧もあります。この圧力は深さ900mの海の底と同じです。」と書いてあるからです。
  • 地球の場合、海流は大気の流れに従うと説明されています。そうであれば金星のスーパーローテーションは硫酸の雲の上の大気が引き起こしていると考えてもおかしくありません。金星は多量なCO2のため非常に高温になっているので、大気の上下対流は激しく、下降する大気にコリオリの力が働いて硫酸の雲を自転する方向に加速すると考えられます。
  • 地球型の回るジャングルジムがあります。回転し始めると子供わずかな力でも回転を手助けすればかなり高速にジャングルジムを回すことができます。これと同じように下降流に働くコリオリの力が継続的に硫酸の雲にかかり続ければ高速回転も可能になり得ます。

  • 下降する大気にコリオリの力が働いて、自転は243日に対して硫酸の雲は4日循環というのもありうると考えられます。


 スーパーローテーションの絵を見ていると赤道直下が最も高速で、極地は低速にみえます。地表に垂直の動く大気に対しは、コリオリの力は赤道直下で最大になり、極地でゼロになることと矛盾はありません。

 JAXAの記事の中に地球の大気シミュレーションで条件をかえるとスーパーローテーションのような流れが再現されるとも書いてあります。これはシミュレーションはコリオリの力の基本方程式を忠実に解いており、地表に水平に動く大気にも垂直に動く大気にもコリオリの力が自然に反映されているからだと思われます。

 ただ、人々の意識のなかに地表に垂直に動く大気に働くコリオリの力がないだけだと思います。ということで、もう一つのコリオリの力に市民権を。

(追記1)
 地表に水平に動く大気に働くコリオリンの力にばかりに注目がいくのは、それが台風や竜巻など甚大な災害を起こしているからやむを得ないところもある。しかし、台風も竜巻もその中心付近は地表に垂直にも動いている。いずれこれらに対するコリオリの力も注目されるようになると考えられる。

(追記2)
 Wikipediaには、JAXAのあかつきはスーパーローテーションの原因を突き止めたと書いてあるが、JAXA自体は説の一つであるとしている。そして徹底的なデータ不足であり、いろんな人がいろんな説を唱えているとのことである。
 戦国の時代も維新の時も資料が十分にあるとは言えない。作家や脚本家は想像力を働かせていろんな物語を作る。金星のスーパーローテーションもこれからもいろんな案がでてくると思われる。歴史と違うのはデータ(資料)が積み重なっていくのは今後であり、いつかスーパーローテーションの原因が明確になる時がくると期待する。


(追記3)
JAXAのHPに載っている金星のスーパーローテーションのメカニズム案を下記に示します。いずれも硫酸の雲の下に原因を求めています。




2023年8月29日火曜日

 3D(6)球面上のサイン波

久しぶりに球面上のサイン波をアップする。


目の焦点を画面奥にすると立体的に見えます。

特長は境界処理がきちんとできていること。この境界処理に何年もかかってしまった。

うまくいった秘訣は、

(1)VBAでベジュ曲線による描画の実現

(2)色をつけるため、終点と始点を一致させたこと

の2点をあげることができる。

この図はR=一定で θ=F(φ)。F(φ)は簡単なサイン波である。

このほかにθを一定にした図やφを一定にした図も描画できるようになっているので、今後、投稿していく。


2021年10月2日土曜日

気象気候あれこれーコリオリの力4

 コリオリの力は、台風や竜巻の左巻きの渦(北半球の場合)の原因として説明されています。台風や竜巻は地球の表面に平行して動く大気に対してコリオリの力が働き、渦となったものです。この地表に対して平行に動く大気に対するコリオリの力は、赤道上ではゼロで南極や北極の極地で最大となります。

 コリオリの力が働くのは、地球の表面に平行に動く大気や海流のみではありません。垂直方向に動く大気や海流にもコリオリの力が働きます。この場合は、赤道で最も大きく、極地ではゼロとなります。

 この地球の表面に対して垂直に動く大気や海流に対するコリオリの力は何故か全くといっていいほど聞くことがありません。

 ここでは、この垂直方向に動きに対するコリオリの力が表れているだろうと思われる例を示します。もちろん、赤道直下です。
 上昇気流に対しては、下図に示すように東から西へ押し付けるようなコリオリ力が生じます。下降気流に対しては、西から東へ押し付ける力が働きます。コリオリの力を受けた下降気流や雨は、海面を西から東へ動かすように叩きつけます。これは西から東へ流れる海流を引き起こします。


 赤道直下の海流は、一般的な教科書にどう書かれているでしょう。

 風は高気圧帯(中緯度高圧帯)から低気圧帯(熱帯収束帯))へ地表もしくは海面に平行に風が流れます。この流れに対してコリオリの力が働き、北半球も南半球も東から西へ向かう風(貿易風)になります。



出典:大気循環    

下図は風の流れ(赤い矢印)と海流(濃い青の矢印)を示しています。海流は風の流れにお影響をうけます。この図によりますと、赤道付近では、北半球も南半球も東から西へ向かって流れています。



教科書的な説明書には、赤道上で図1のような流れは書かれていません。

詳しい海流図を見てみます。



すると上図のように太平洋、インド洋、大西洋のいずれに西から東へ流れる赤道反流(Equitorial Counter)が書かれています。

この赤道反流が、図1に示した上下方向に動く大気に対して働くコリオリの力によると考えられます。

北赤道流(N.Equitorial)及び、南赤道(S.Equitorial)はいわゆる貿易風によるものです。
これも太平洋、インド洋、大西洋のいずれにも存在しています。

太平洋では、東の海水温が高くなるエル・ニーニョ現象、西の海水温が高くなるラ・ニーニョ現象が知られています。

インド洋では、東の海水温が高くなる負のダイポール現象、西の海水温が高くなる正のダイポール現象が知られています。

大西洋にも同じような現象があってもおかしくないと思われますが、今のところそのような話はありません。今後、類似の現象があるかどうか、なければ何故ないのか等が判明するのではないかと期待しています。

ここでは赤道反流は、コリオリの力によるものと説明しましたが、定説になっているわけではありません。

Wikipediaでは貿易風により西の海面が東の海面より高くなり、そのため赤道反流が起こると説明されています。しかし、そうだとすると貿易風が強いと赤道流も赤道反流も強くなり、エルニーニョ、ラニーニョ現象がうまく説明できません。

今回の”赤道反流はコリオリの力”説では、貿易風が弱まれば、赤道反流が大きくなり、太平洋のエルニーニョ・ラニーニャ振動、インド洋ダイポール振動の説明につながると思われます。

地表や海表面に平行に働くコリオリの力は、あまりにも有名ですが、地表や海表面に垂直に動く大気に対するコリオリの力は皆さん忘れていませんか、と言いたいです。


2016年12月11日日曜日

メディアへの提案 その1

 
 ケントギルバートさんが「何でも言って委員会NP」のパネラーとして「なんで強行採決というのか?」と疑問を投げかけていた。民主主義だと多数決が基本なので、強行採決というのはおかしいというわけだ。

 そう言われれば確かにおかしい。

 国会の質は野党で決まると思っている。野党の質をあげるために、強行採決というかわりに強行反対といったらどうだろう。

 また、審議拒否もあってはならない。

 メディアが強行採決ということをやめて、その代わりに強行反対と言い、そして、審議拒否に対して厳しく臨めば、野党の質があがり、国会の質も必然的に向上するだろう。

2016年7月3日日曜日

健康(13)– 肺に腫瘍・退院後

健康(13)– 肺に腫瘍・退院後


検査入院  禁煙  癌病棟  手術後 の続き

 喘息を治そうと思って入院の数年前から早起きして毎日歩いていた。自分流のストレッチも行っていた。運動が習慣になっていた。手術後は入院中も軽い運動をしていた。退院後、手術の強い痛みはかなり残っていたが、出社するまでの数日間よく歩いた。近くの山の尾根伝いに何時間も歩いた。
 
 全てが順調ではなかった。

 入院中、担当医が私の肺から水が抜けないといって不思議がっていた。肺から水を抜くための薬を飲まされてはレントゲンを撮られた。退院後も何度もレントゲンを撮られたが、結局水が抜けたという確証は得られなかったようだ。
 
 手術の傷口が癒え、痛みがとれても傷口のある背中とは反対の腹側の心臓の下あたりに違和感が残った。そしてストレッチで前屈をすると心臓の下がこむら返りを起こす。この違和感とこむら返りはでたりでなくなったりする。手術から14年経った今でも続いている。数日前、心臓の下がぴくぴくと痙攣する。今まで経験したことはない。これはやばいと思ったが、こむら返りも回数は少なくなっており、小さくもなっているのでこのまま様子を見ようと思っている。
 
 喘息も完全に治ったとはいえない。喘息は気管支の恒常的な炎症であり、治療は極微量のステロイドを吸い続けること。普通の病気だと少し回復すると薬を飲まなくなるのが通常だが、喘息を患った人は、発作の苦しさが骨身にしみているので、続けられるとのこと。私も未だに吸引している。
   
 とはいえ、禁煙から14年、肺の調子は確実によくなっている。新たな問題は、体のことをあまり気にしなくなり、朝の早起きも散歩もあまりしなくなったことである。季節の変わり目に喘息気味なると無理はやめとこうとか、花粉の季節になると外を歩くのをやめようとか守りの姿勢にはいってしまう。
   
 これではよくないと思ったが、朝は早く起きられない、長時間歩く気にもならない。朝早く起きられなかった分を取り戻すため、また、短時間で運動を終わらせるため、最近、ジョギングを始めた。以前の私では考えられなかったことであるが、30分近く走ることができる。こんなに回復しているのかと我ながら驚く。でも暑くなってきたので、ジョギングはやめようかという気分になっている。
   
 喘息になって、これはやばい、なんとかせねばと思ってから、朝の早起きと散歩を習慣にすることができた。肺に腫瘍が見つかってから禁煙もした。しかし、喘息発作の回数が減り、肺の調子がよくなるにつれ、運動の意識が薄れてきた。
 
 今までの経験からして、健康を害してから健康を考えるのでは遅い。概して健康と思っているときこそ、健康と運動を意識しなければならないだろう。病気予防さらには健康長寿のため、攻めすぎは問題かもしれないが、攻めの姿勢で運動を確実に習慣にすべきではないかと思っている。
 

2016年7月2日土曜日

健康(12)– 肺に腫瘍・手術後

健康(12)– 肺に腫瘍・手術後


検査入院 禁煙 癌病棟 の続き

 癌では無かったですよという女医先生の声で麻酔から覚めた。
 
 体中に何か付けられていて、目の前は計測器だらけ。隣のおじさんは肺を半分取ったのにその日のうちに夕食を食べていた。私は肺の一部しかとっていないのに食事が食べられない。食べたいという気が出ないほどくたばっている。数日先に肺活量の検査があった。隣のおじさんは肺が半分なのに私よりだいぶ肺活量がある。癌ではなかったが、私の肺はかなり悪かったようだ。
 
 次の日から食事がとれた。背中から管がでている。背中には液体が入ったものを背負わされて普通に歩かされた。背中の液体の中は自分の吐く息が泡となってでていたように思う。今から思えば背負わされたものは何であったのか、何の機能を果たしていたのか、何故何も聞かなかったのかと不思議である。手術後の痛みに耐えることや普通ならなんでもない日常生活を送るのに一所懸命であり余裕が無かったのだろうと今推察する。
 
 家族は他の人と比べて直ぐに帰ってきたので、手遅れだったかと一瞬思ったそうであるが、腫瘍が良性であったと知ると私に対する不満が一気に噴き出した。これで家族が受けているストレスがわかった。
   
 この話を隣の患者さんの母娘にすると二人が同時に急に堰を切ったように、自分たちは如何にストレスを受けているか、それが本人にわかっているのかと言うようなことを、大きな声で私に一気に話してきたので吃驚した。
   
 この病院では注射タイムというのがあって、数人の看護婦さんに行列を作って並んで注射をうってもらう。どの看護婦さんにあたるかは事前にわからない。ここでも注射の下手な看護婦がいて、みんなその看護婦さんにあたることを嫌がっていた。注射のあと、あの看護婦さんにあたらなくてよかったとか、今日は運が悪かったとかが話題になっていた。
   
 20年前の入院は長期にわたったこともあり、注射の下手な看護婦さんには恐怖を感じ、悪人に見えた。想像するに注射の下手な看護婦は自分が下手のことに気がついていないのではないか。看護婦さんを怒らしてしっぺ返しを想像するので直接言うことは憚られる。間接的にいうべきだったかもしれない。
 
 私の腫瘍はいろいろ調べたが、わからなかったとのこと。

2016年7月1日金曜日

健康(11)– 肺に腫瘍・癌病棟

健康(11)– 肺に腫瘍・癌病棟


検査入院 禁煙 の続き


 約束の1ヶ月後病院へ行った。禁煙は約束の半分しかできていない。特に確認されなかったので、何も言っていない。すぐに入院することになった。入院したところは、6人の大部屋であり、直接的に間接的に聞いて、周りの人は全員癌であることがわかった。みんな大部屋にいることを喜んでいた。もし個室であればふさぎ込むであろうが、大部屋では、お互いに情報交換もできる。同じ悩みを話していれば、気は紛れるし、元気づけられもする。でもこの部屋にいる人は手術で助かる可能性を持っている人たちである。3階には手術できない癌患者ばかりで雰囲気が暗いという。周りの人は入院後1~2日後手術が行われるのに私は2週間近く待たされた。検査で禁煙期間がわかるのかな? 喘息持ちの手術は危険で私の体調を見計らっていたようでもあった。

   肺癌手術でも手術が終われば普通に食事をし、そして次の日からは歩かされる。しかし、体には管が入ったままで、背中には器具を背負わされている。 

 手術の日が近づき毎日種々の検査が行われたが、垣間見える検査結果から私は癌では無いと思った。手術の前日、麻酔医の方がこられて私の体を触診された。私の体は麻酔医泣かせで麻酔注射を打つ場所がわかりにくいとのことであった。麻酔は背中に注射される。以前の盲腸の時も背中に注射された。あの時、私には麻酔があまり効いていなかった。多分注射が少しはずれたのだろう。

   手術の前日、担当医から妻と娘同席で手術内容について話があった。手術で真ん中の太い気管が傷つくと即死になりますが、そんなことが起きないように手術します。と切り出された。おいおいそこから始まるのか。腫瘍がある左の肺は上下二つに分かれています。ちなみに右肺は三つに分かれています。腫瘍は左上の肺の下方にあります。腫瘍部分を切リ取って直ぐに癌かどうか検査します。腫瘍が癌で下の肺にまで達していたら、左の肺全部を摘出します。そうでなかったら肺の上部を取ります。喘息を持っているので喘息の発作が起きたら危険です。腫瘍が良性であっても取り除きます。
 
 私の直前に手術された方は、手術室からすぐ帰ってこられた。聞けば既に手遅れだったとのこと。動揺しておられるふうもなく、いつものように淡々と何事もなかったように雑談されたのには驚かされた。

 しばらくして、私の番になった。手術台に乗せられて大部屋を出て行くときの自分を覚えている。20年前の手術ではとにかく痛くて早く切ってくれとの一心だった。痛くて朦朧として手術台に乗せられたことも記憶にない。今回はどこにも異常が感じられない。2週間近くの病院で日頃の疲れはとれている。禁煙も1ヶ月になる。喘息の気配もない。体はぴんぴんしている。それだけに不安が忍び寄る。危険かもしれないところに敢えて突き進む高揚感のようなものもあった。手術室に着くと直ぐに麻酔を打たれて数を数得るように言われた。五つも数えないうちに意識をなくした。

2016年6月30日木曜日

健康(10)– 肺に腫瘍・ついに禁煙

健康(10)– 肺に腫瘍・ついに禁煙


検査入院 の続き


 禁煙して1ヶ月後に入院するようにいわれていた。 煙草をやめないと前へ進まないとわかっていても簡単にやめられない。 病院から禁煙をきつくいわれてからも2週間吸い続けた。 その頃、用事があって遠くにある実家に帰った。 そこで喘息の発作が起きた。発作はしばらく起きていなかったので、よく効く薬を持っていなかった。 近くの病院に行ったが、発作はおさまらない。 この時、苦しい、煙草もおいしくない、もう煙草をやめようと思った。

 今まで何度も煙草をやめようと思って頭の中の「喫煙スイッチ」をオフにしたが、オフにならない。 オフにしたつもりが、すぐにオンになっている。30年以上この状態が続いていた。 喘息の発作でどんなに苦しんでいても、煙草の誘惑に負け続けてきた。

 ところがこの時は頭の中のスイッチがオフになった。 そしてオフにロックされた。意を決して、禁煙をしたのではない。 決心ならいままで何度もしてきた。 いままで何度強く押しても、その都度強力な反発力でオフにならなかった。 そのスイッチが、そんなに強く押していないのに何の抵抗もなく、すっといとも簡単にスイッチがはいってしまった。 このスイッチはオンにならない。そう確信できた。

  病院の指示通り1ヶ月禁煙し、手術後悪い結果がでなければ、また喫煙することもありえた。 何故、禁煙できたのか。

 癌かもしれないし、煙草もうまいとは感じなくなっていた。 病院の先生が、何度も喫煙しているとどんな治療も効かないと繰り返したことも大きかったと思う。 癌であろうと無かろうと煙草を吸い続けていたら余命は長くないと感じていたこともある。 何が決定打であったかよくわからない。

 いろんな不安や思いが重なって喫煙スイッチが確実にオフになったのであろう。いまでも自分の意志で禁煙できたという感じはない。
   

2016年6月29日水曜日

健康(9)– 肺に腫瘍・検査入院

健康(9)– 肺に腫瘍・検査入院


 ある日会社の診療所から電話がかかってきた。肺で引っかかったのではないかと予想しながら診療所にいく。診療所の先生から手のひら大の写真を見せられた。案の定、肺の写真で素人目にも腫瘍が写っている。小さい写真なのに腫瘍はやけに大きい。頭の中で写真を実物大まで拡大してみる。握り拳ほどの大きさになる。頭がガクンと落ちた。先生が肩を叩いてまだ決まったわけではないと言う。いくつかの病院を示してどこにするかと言われる。大きな病院を選んだ。紹介状をもらって診療室をでた自分を今でも覚えている。

 いろんな検査が受けた。覚えているのをあげると、やたら大きな風船による肺活量測定、脳のMRI、CTスキャン、PET。その他の装置名は覚えていないが、脳と骨の検査がやたら多かった。ずっと後で肺癌は脳と骨に散りやすいと聞いた。CTスキャンの画像を見ることができた。卵大ぐらいの腫瘍と思っていたが、現実は人差し指の先ほどであった。当時癌検診の最先端装置であるPETは別の病院で受けた。当時PETは、まだ日本には2台しかなく、その病院はPETを導入したおかげで苦しかった経営が一気に回復したとのことであった。
 
 何日にもわたり、いろんな検査をされたあと、検査入院をして下さいと言われた。えっ検査だけで入院? 入院手続きを済ますと、今から検査しますと言って車椅子に乗せられた。元気なのに何故? それ程の検査ですと言われた。肺を内視鏡で見るのだという。
 口から内視鏡を入れられた。経験したことのない、表現しようのない、不思議な苦しみが襲ってくる。はねられる、はねられるという先生の言葉が聞こえてくる。内視鏡が腫瘍にあたってどうもうまく見ることができないようであった。終わると何故か自分がぐったりしている。確かに車椅子が要る。その日は病院で一泊した。

 外科部長から一連の検査結果が伝えられた。いろいろ調べたが、腫瘍が悪性か良性かどうかはわからなかった。手術で腫瘍を切って、即時に検査する。その後継続する手術は検査結果に応じて行う。
 「先生、わからないのであれば、手術しなくてもよいのでは?」
 「癌だったらどうする」と声を荒げられた。

 手術に先駆けて煙草をやめること。煙草をやめないとどんな治療をしても無意味である。 まずは煙草をやめること。1ヶ月たってから来院するようにと言われた。また、私は喘息を持っているので、もし手術中に喘息の発作が起きると非常に危険なので体調を見ながら手術を行うとのことであった。