健康(6)– 盲腸周囲膿瘍
排尿痛の続き手術が終わっても生きのびた感はなかった。病名は、盲腸周囲膿瘍で、盲腸があった場所に膿がたまる病気であった。ひどい臭いがして、完全に取り除くよう大きく切ったとのこと。これらは母から間接的に聞いた。手術前後も手術した先生の顔も全く覚えていない。
気がつけば、おちんちんに管がついている。尿意があるようでもあり、ないようでもある。いつ放尿したかもわからない。でも放尿はしている。気色悪さ感が消えない。これはつらかった。
手術の次の日から毎日、院長先生が太くて長い針金のようなものを持ってきて、手術した箇所につっこみかき回す。こうすると早く直るとのことであった。
針金は1週間近く、尿管は約2週間近く続いた。長時間の点滴も毎日ある。針金の痛さは短時間であるが、尿管の気持ち悪さは途絶えることがない。大便は寝たままで他人の力を借りなければならない。これもたまらなくいやであった。
尿管が抜かれて、やっと寝たきりから解放された。立ち上がるとふらふらすると言われていたが、自分は、普通に歩けると感じた。実際に立ち上がると平衡感覚がなくなっているのに吃驚した。点滴は更に続いた。点滴の針がはいりにくくなって、今度は点滴が苦痛になってきた。看護婦さんの上手下手で点滴のつらさがかなり違う。下手な看護婦さんがくるとおおげさでなく、恐怖に震えた。
隣は50歳ぐらいの胃潰瘍の男性で、さかんに先生が手術を勧めるが断り続けていた。私は早く切ってくれと切望したのに、この人は拒否している。誰だって痛みがなければ、手術は躊躇するだろう。私の場合は、手術の怖さより、一刻も早く痛さから解放されたかった。
隣の男性は最後は、手術を選択された。数日後、先生がその方に術後の血液検査に問題ありませんでしたよと言われたとき、何を言われているのかわからないようで、かなりたって、あっ、そうかと言われた。輸血は肝炎発症の可能性があり、肝炎の検査で問題がなかったと告げられたのだ。もし、肝炎の危険性を意識されていたら手術はもっと遅れたであろう。
隣で何週間も一緒だったのに、記憶はこのくらいでほとんどない。今から思えば、体力は消耗しきっており、ぼーっとしている状況が続いていたようだ。
次に隣に来られたのは、おばあさんで90歳前後のように見えた。「先生、私死ぬのですか」と周りを気にすることなく、さかんに問いかけられる。ネガティブオーラが取り囲んでいるような感じでこちらまで、暗くなってしまう。
おとなしかった私がいろいろ愚痴を言い始めたようで、このとき、家族はもう大丈夫だと思ったようだ。
点滴はつらい。隣のばあさんもたまらない。先生に退院をお願いしたら、許された。
盲腸周囲膿瘍は盲腸を患った人のうち5%ぐらいがかかると聞いた。習慣になって何度も手術を繰り返えす人がいるとも聞いたが、私の場合、幸いなことに30年以上たっても再発していない。
退院しても、完治には長い時間がかかった。
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