健康(7)– 盲腸周囲膿瘍-退院後
前々回 排尿痛 および 前回 盲腸周囲膿瘍の続き
1979年2月退院。退院しても病気が治った気がしない。長い間、病名すらわからず、その間に体に膿がどんどん溜まっていったせいか、心身をすり減らしていた。
振り返ってみれば、体調の悪さを感じたのは、夏前、会社を休職して、誤診による病院通いをしたのは秋。救急車で入院したのは年末。会社に復帰したのが、2月末。
会社に復帰してしばらくは、えっ、今10月でなく2月と思うことが何度もあった。アパートに帰って、テレビを見ていても、全然頭に入らない。水戸黄門ですら見終わってどんな内容だったかも思い出せなかった。
歩けなくなるほど痛みを感じてから手術まで6~7ヶ月、退院後の2~3ヶ月、合わせて9ヶ月以上、この時ほど、周りが見えてなかったときはない。退院後、危機は脱したはずなのに生きている心地はしない。もうだめだという意識が抜けない。
長期間の治療で肝臓がやられており、γ-GPTとGTPの値が高かった。肝臓は悪くなっても自覚症状はない。会社の診療所の先生は、治すには食事療法しかないという。外食であったが、極力日本食を食べることにした。あとから振り返ってみれば体は少しずつだけれど、回復していた。
当時は意識していなかったが、心の回復は随分遅れた。心が壊れていると、いままで全く何も感じていなかったものに対しても、恐怖心が湧き、なかなか消えない。特にテレビで救急車の音を聞くのは耐えきれなかった。病院の場面もみることができなかった。ずっと後にこの話を人にするとPTSDだという。いわゆるトラウマである。そうだったかもしれない。
アパートに女性が人参茶を売りにきた。非常に暑い日だった。クーラーはない。こちらはパンツ一丁なのに女性が上がり込んで、人参茶の効用を熱心に説明した。人参茶は酸化ゲルマニウムを多量に含んでおり、酸化ゲルマニウム中の酸素が体質を根本的に改善するという。2ダース注文した。体質改善に2ダースは必要と言われたと思う。次の日、こんなに多量に買う必要はないと思い直して、1ダースにした。それでも1本約5万円計およそ60万円。
この人参茶は体にどれだけよかったかどうかわからない。しかし、心の支えになった。これを飲んでいると何故か少し安心した。2年半はほぼ毎日確実に小さな匙に毎2杯ずつ飲み続けた。3年目の終わり頃はだんだん飲まなくなった。そして最後の一本には黴が生えたので捨てた。この時、もう大丈夫と思った。心が回復した瞬間だった。
私に人参茶を売りつけたのは誰だったのだろう。私が人参茶を買って数年たって、統一教会が高価な人参茶と壺を売っているという情報がメディアを賑わした。そういえば、人参茶を買って一ヶ月もたたないころ、今度は男性が壺を売りに来た。壺が体に効くはずもないし、霊が壺に宿るなんて全く信じないので断った。私は絶対買うと確信していたのだが、と販売員は見込み違いを残念がった。
統一教会は当時いろいろ話題になったが、事件性があるというわけではなかった。私が飲んだ人参茶はどうだったのだろうか。これを書きながら気になりネットで調べてみた。統一教会が扱う商品のなかではまともであるとのこと。人参茶としては、統一教会が売るので高いが、という注釈がついているものの一級品であるとのこと。そうなると最後の一本はもったいなかった。
入院しているのに会社からは早く出社しろと催促されていた。先生が自宅療養期間を指示してくれていたので、その通りにした。会社仕事はどこも楽なところはない。長時間労働でストレスが溜まる。なんらかの嗜好品に走る。私の場合、コーヒーと煙草であった。あれだけ大変な思いをしたのに、退院後1ヶ月もしないうちから煙草を吸い始めた。入院しているとき、これで煙草がやめられると思っていたのに、又、吸い始めてしまった。何故この時やめなかったかと後で悔いることになる。
せっかく大病を患ったのに、私が体によいことをしたのは、人参茶を買って3年近く飲み続けたぐらいである。せめて禁煙すべきであった。禁煙しておけば約10年後に煩った病気にならずにすんだ。又、20年後に受けた手術もいらなかった、
次は40代に煩った病気について述べる。
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