2023年12月16日土曜日

 気象あれこれ コリオリの力(5)

金星のスーパーローテーションの謎にせまる
       ーーもう一つのコリオリの力に市民権をーー

過去の記事   
コリオリの力(4)
コリオリの力(3)
コリオリの力(2)
コリオリの力(1)

 回転している地球そして惑星には、動いている物質(気体も液体も含む)の速度と質量に比例した力が働きます。これがコリオリの力です。式で表せば F=2Vω となります。Fが力でmが質量、が速度です。コリオリの力は地表に平行に動く物質に力(F=2V*ω)が働くと同時に地表に垂直に動く物質にも力(F=2Vω)が働きます。

 地表に平行に動く物質に働くコリオリの力は非常によく知られています。台風や竜巻、つむじ風、風呂の栓を抜いた時の左巻きの水の流れなどです。これらの渦は北半球では、左巻きですが、南半球では右巻きになります。このコリオリの力は赤道直下ではゼロで北極点、南極点で最大になります。

 それでは地表に垂直に動く物質に働くコリオリの力はどうでしょうか。北半球も南半球も同じ方向に力が働き、北極点、南極点ではゼロで、赤道直下で最大になります。このコリオリの力で説明されている現象はほぼ皆無と言っていいでしょう。前回、赤道反流は垂直に動く大気の流れにコリオリの力が働き、起きている可能性を示しました。しかし、定説になっているわけではありません。

今回は、これはと思うものをもう一つ示します。それは金星の大気の流れです。

地球、火星、金星などの大気の流れを下図に示します。この図はJAXAの
金星の気象学-惑星の気象学とスーパーローテーション ←クリック
にある図です。


 上図の地球や火星の大気における極循環、フェレル循環、ハドレー循環、偏西風、編東風もすべて、地表に平行に動く大気に対するコリオリの力で説明できます。それに対し、金星やタイタンで起きているスーパーローテーションはよくわかっていないといわれています。

 コリオリの力は、地表に対して平行に動く気体に対して、働くのみならず、地表に対して、垂直に動く気体に対しても働きます。私は、金星やタイタンで起きているスーパーローテーションは地表に対して、垂直に動く気体に対しても働くコリオリの力によるものと考えます。

以下は金星に関するJAXAの記事の抜粋です。
ーーーーーーー
『金星は大きさや重さは地球と似ていますが、惑星表面の環境は地球と大きく違っています(図1)。 たとえば金星の大気は二酸化炭素(96.5%)を主成分として、あとは微量の窒素(3.5%)などです。 大気の量が大変多いため、地表面での気圧は約90気圧もあります。この圧力は深さ900mの海の底と同じです。 約45 kmから70kmの高さには濃硫酸からなる雲があります。 この雲は地球の雲と違って惑星全体を完全におおっていて、そのために外部から大気や地表面を観察することは困難です。

金星の大気大循環はどうなっているのでしょうか。 金星の自転周期は243地球日であり、赤道での自転速度は1.6 m/秒しかありません。大気と地面は絶えず力を及ぼしあっているので、このように自転の遅い惑星上で吹く風は自転と同程度に遅いと予想されます。 例えば地球の偏西風は30 m/秒程度ですが、これは赤道での自転速度460 m/秒の1割にも達していません。


しかし金星の滝循環はこのような予想とは全く違っていました。 1974年に米国の探査機マリナー10号が連続撮影した画像によれば、 雲はどこでも自転と同じ方向に 100m/秒もの速さで流れ、約4地球日で1周していたのです(図2)。 

これは大気が地面の60倍もの速さで回転していることを意味します。 金星にこのような風が吹いていることは、実はフランスのアマチュア天文家が1957年に先に発見していたそうです。 しかし同じころ地上からのレーダー観測によって金星の自転速度が大変遅いことがわかったため、 4日で1周する風などありえないと決め付けられて、長らく無視されていたということです。

この不思議な風は「スーパーローテーション(超回転)」とか「4日循環」とか呼ばれています。 その後着陸機が大気中を降下しながら観測したところ、風は高度65 kmくらいまで高さと共に強くなっています(図3)。

大気には粘性(ねばっこさ)があり、地面との間で摩擦が働くので、特別なしくみが働かないかぎりこのような風の分布は徐々に均されてしまい、 最終的には自転速度と大差ない風速に落ち着くはずです。 地球を基準に考えると大変不思議な風です。
ーーーーー以上、JAXAの記事の抜粋でした。

  更にJAXAの記事では、スーパーローテーションの原因として3説が書かれています。そして3説とも、原因を硫酸の雲とその下にあるとしています。どれも決め手がなく、まだよくわかっていないとのことです。

 私は、このスーパーローテーションは硫酸の雲の上の大気にあると考えます。硫酸の雲の上の大気が地表に垂直に動き、垂直に動く大気に働くコリオリの力によるものだと推測できます。コリオリの力によるという説は、3説に入っていません。

私の推測を以下に示します。

  • 硫酸の雲とその下の高圧なCO2層は、地球の海に相当するのではないかと考えます。
    というのは上記のJAXAの記事に
    「金星の地表面での気圧は約90気圧もあります。この圧力は深さ900mの海の底と同じです。」と書いてあるからです。
  • 地球の場合、海流は大気の流れに従うと説明されています。そうであれば金星のスーパーローテーションは硫酸の雲の上の大気が引き起こしていると考えてもおかしくありません。金星は多量なCO2のため非常に高温になっているので、大気の上下対流は激しく、下降する大気にコリオリの力が働いて硫酸の雲を自転する方向に加速すると考えられます。
  • 地球型の回るジャングルジムがあります。回転し始めると子供わずかな力でも回転を手助けすればかなり高速にジャングルジムを回すことができます。これと同じように下降流に働くコリオリの力が継続的に硫酸の雲にかかり続ければ高速回転も可能になり得ます。

  • 下降する大気にコリオリの力が働いて、自転は243日に対して硫酸の雲は4日循環というのもありうると考えられます。


 スーパーローテーションの絵を見ていると赤道直下が最も高速で、極地は低速にみえます。地表に垂直の動く大気に対しは、コリオリの力は赤道直下で最大になり、極地でゼロになることと矛盾はありません。

 JAXAの記事の中に地球の大気シミュレーションで条件をかえるとスーパーローテーションのような流れが再現されるとも書いてあります。これはシミュレーションはコリオリの力の基本方程式を忠実に解いており、地表に水平に動く大気にも垂直に動く大気にもコリオリの力が自然に反映されているからだと思われます。

 ただ、人々の意識のなかに地表に垂直に動く大気に働くコリオリの力がないだけだと思います。ということで、もう一つのコリオリの力に市民権を。

(追記1)
 地表に水平に動く大気に働くコリオリンの力にばかりに注目がいくのは、それが台風や竜巻など甚大な災害を起こしているからやむを得ないところもある。しかし、台風も竜巻もその中心付近は地表に垂直にも動いている。いずれこれらに対するコリオリの力も注目されるようになると考えられる。

(追記2)
 Wikipediaには、JAXAのあかつきはスーパーローテーションの原因を突き止めたと書いてあるが、JAXA自体は説の一つであるとしている。そして徹底的なデータ不足であり、いろんな人がいろんな説を唱えているとのことである。
 戦国の時代も維新の時も資料が十分にあるとは言えない。作家や脚本家は想像力を働かせていろんな物語を作る。金星のスーパーローテーションもこれからもいろんな案がでてくると思われる。歴史と違うのはデータ(資料)が積み重なっていくのは今後であり、いつかスーパーローテーションの原因が明確になる時がくると期待する。


(追記3)
JAXAのHPに載っている金星のスーパーローテーションのメカニズム案を下記に示します。いずれも硫酸の雲の下に原因を求めています。




2023年8月29日火曜日

 3D(6)球面上のサイン波

久しぶりに球面上のサイン波をアップする。


目の焦点を画面奥にすると立体的に見えます。

特長は境界処理がきちんとできていること。この境界処理に何年もかかってしまった。

うまくいった秘訣は、

(1)VBAでベジュ曲線による描画の実現

(2)色をつけるため、終点と始点を一致させたこと

の2点をあげることができる。

この図はR=一定で θ=F(φ)。F(φ)は簡単なサイン波である。

このほかにθを一定にした図やφを一定にした図も描画できるようになっているので、今後、投稿していく。


2021年10月2日土曜日

気象気候あれこれーコリオリの力4

 コリオリの力は、台風や竜巻の左巻きの渦(北半球の場合)の原因として説明されています。台風や竜巻は地球の表面に平行して動く大気に対してコリオリの力が働き、渦となったものです。この地表に対して平行に動く大気に対するコリオリの力は、赤道上ではゼロで南極や北極の極地で最大となります。

 コリオリの力が働くのは、地球の表面に平行に動く大気や海流のみではありません。垂直方向に動く大気や海流にもコリオリの力が働きます。この場合は、赤道で最も大きく、極地ではゼロとなります。

 この地球の表面に対して垂直に動く大気や海流に対するコリオリの力は何故か全くといっていいほど聞くことがありません。

 ここでは、この垂直方向に動きに対するコリオリの力が表れているだろうと思われる例を示します。もちろん、赤道直下です。
 上昇気流に対しては、下図に示すように東から西へ押し付けるようなコリオリ力が生じます。下降気流に対しては、西から東へ押し付ける力が働きます。コリオリの力を受けた下降気流や雨は、海面を西から東へ動かすように叩きつけます。これは西から東へ流れる海流を引き起こします。


 赤道直下の海流は、一般的な教科書にどう書かれているでしょう。

 風は高気圧帯(中緯度高圧帯)から低気圧帯(熱帯収束帯))へ地表もしくは海面に平行に風が流れます。この流れに対してコリオリの力が働き、北半球も南半球も東から西へ向かう風(貿易風)になります。



出典:大気循環    

下図は風の流れ(赤い矢印)と海流(濃い青の矢印)を示しています。海流は風の流れにお影響をうけます。この図によりますと、赤道付近では、北半球も南半球も東から西へ向かって流れています。



教科書的な説明書には、赤道上で図1のような流れは書かれていません。

詳しい海流図を見てみます。



すると上図のように太平洋、インド洋、大西洋のいずれに西から東へ流れる赤道反流(Equitorial Counter)が書かれています。

この赤道反流が、図1に示した上下方向に動く大気に対して働くコリオリの力によると考えられます。

北赤道流(N.Equitorial)及び、南赤道(S.Equitorial)はいわゆる貿易風によるものです。
これも太平洋、インド洋、大西洋のいずれにも存在しています。

太平洋では、東の海水温が高くなるエル・ニーニョ現象、西の海水温が高くなるラ・ニーニョ現象が知られています。

インド洋では、東の海水温が高くなる負のダイポール現象、西の海水温が高くなる正のダイポール現象が知られています。

大西洋にも同じような現象があってもおかしくないと思われますが、今のところそのような話はありません。今後、類似の現象があるかどうか、なければ何故ないのか等が判明するのではないかと期待しています。

ここでは赤道反流は、コリオリの力によるものと説明しましたが、定説になっているわけではありません。

Wikipediaでは貿易風により西の海面が東の海面より高くなり、そのため赤道反流が起こると説明されています。しかし、そうだとすると貿易風が強いと赤道流も赤道反流も強くなり、エルニーニョ、ラニーニョ現象がうまく説明できません。

今回の”赤道反流はコリオリの力”説では、貿易風が弱まれば、赤道反流が大きくなり、太平洋のエルニーニョ・ラニーニャ振動、インド洋ダイポール振動の説明につながると思われます。

地表や海表面に平行に働くコリオリの力は、あまりにも有名ですが、地表や海表面に垂直に動く大気に対するコリオリの力は皆さん忘れていませんか、と言いたいです。


2016年12月11日日曜日

メディアへの提案 その1

 
 ケントギルバートさんが「何でも言って委員会NP」のパネラーとして「なんで強行採決というのか?」と疑問を投げかけていた。民主主義だと多数決が基本なので、強行採決というのはおかしいというわけだ。

 そう言われれば確かにおかしい。

 国会の質は野党で決まると思っている。野党の質をあげるために、強行採決というかわりに強行反対といったらどうだろう。

 また、審議拒否もあってはならない。

 メディアが強行採決ということをやめて、その代わりに強行反対と言い、そして、審議拒否に対して厳しく臨めば、野党の質があがり、国会の質も必然的に向上するだろう。

2016年7月3日日曜日

健康(13)– 肺に腫瘍・退院後

健康(13)– 肺に腫瘍・退院後


検査入院  禁煙  癌病棟  手術後 の続き

 喘息を治そうと思って入院の数年前から早起きして毎日歩いていた。自分流のストレッチも行っていた。運動が習慣になっていた。手術後は入院中も軽い運動をしていた。退院後、手術の強い痛みはかなり残っていたが、出社するまでの数日間よく歩いた。近くの山の尾根伝いに何時間も歩いた。
 
 全てが順調ではなかった。

 入院中、担当医が私の肺から水が抜けないといって不思議がっていた。肺から水を抜くための薬を飲まされてはレントゲンを撮られた。退院後も何度もレントゲンを撮られたが、結局水が抜けたという確証は得られなかったようだ。
 
 手術の傷口が癒え、痛みがとれても傷口のある背中とは反対の腹側の心臓の下あたりに違和感が残った。そしてストレッチで前屈をすると心臓の下がこむら返りを起こす。この違和感とこむら返りはでたりでなくなったりする。手術から14年経った今でも続いている。数日前、心臓の下がぴくぴくと痙攣する。今まで経験したことはない。これはやばいと思ったが、こむら返りも回数は少なくなっており、小さくもなっているのでこのまま様子を見ようと思っている。
 
 喘息も完全に治ったとはいえない。喘息は気管支の恒常的な炎症であり、治療は極微量のステロイドを吸い続けること。普通の病気だと少し回復すると薬を飲まなくなるのが通常だが、喘息を患った人は、発作の苦しさが骨身にしみているので、続けられるとのこと。私も未だに吸引している。
   
 とはいえ、禁煙から14年、肺の調子は確実によくなっている。新たな問題は、体のことをあまり気にしなくなり、朝の早起きも散歩もあまりしなくなったことである。季節の変わり目に喘息気味なると無理はやめとこうとか、花粉の季節になると外を歩くのをやめようとか守りの姿勢にはいってしまう。
   
 これではよくないと思ったが、朝は早く起きられない、長時間歩く気にもならない。朝早く起きられなかった分を取り戻すため、また、短時間で運動を終わらせるため、最近、ジョギングを始めた。以前の私では考えられなかったことであるが、30分近く走ることができる。こんなに回復しているのかと我ながら驚く。でも暑くなってきたので、ジョギングはやめようかという気分になっている。
   
 喘息になって、これはやばい、なんとかせねばと思ってから、朝の早起きと散歩を習慣にすることができた。肺に腫瘍が見つかってから禁煙もした。しかし、喘息発作の回数が減り、肺の調子がよくなるにつれ、運動の意識が薄れてきた。
 
 今までの経験からして、健康を害してから健康を考えるのでは遅い。概して健康と思っているときこそ、健康と運動を意識しなければならないだろう。病気予防さらには健康長寿のため、攻めすぎは問題かもしれないが、攻めの姿勢で運動を確実に習慣にすべきではないかと思っている。
 

2016年7月2日土曜日

健康(12)– 肺に腫瘍・手術後

健康(12)– 肺に腫瘍・手術後


検査入院 禁煙 癌病棟 の続き

 癌では無かったですよという女医先生の声で麻酔から覚めた。
 
 体中に何か付けられていて、目の前は計測器だらけ。隣のおじさんは肺を半分取ったのにその日のうちに夕食を食べていた。私は肺の一部しかとっていないのに食事が食べられない。食べたいという気が出ないほどくたばっている。数日先に肺活量の検査があった。隣のおじさんは肺が半分なのに私よりだいぶ肺活量がある。癌ではなかったが、私の肺はかなり悪かったようだ。
 
 次の日から食事がとれた。背中から管がでている。背中には液体が入ったものを背負わされて普通に歩かされた。背中の液体の中は自分の吐く息が泡となってでていたように思う。今から思えば背負わされたものは何であったのか、何の機能を果たしていたのか、何故何も聞かなかったのかと不思議である。手術後の痛みに耐えることや普通ならなんでもない日常生活を送るのに一所懸命であり余裕が無かったのだろうと今推察する。
 
 家族は他の人と比べて直ぐに帰ってきたので、手遅れだったかと一瞬思ったそうであるが、腫瘍が良性であったと知ると私に対する不満が一気に噴き出した。これで家族が受けているストレスがわかった。
   
 この話を隣の患者さんの母娘にすると二人が同時に急に堰を切ったように、自分たちは如何にストレスを受けているか、それが本人にわかっているのかと言うようなことを、大きな声で私に一気に話してきたので吃驚した。
   
 この病院では注射タイムというのがあって、数人の看護婦さんに行列を作って並んで注射をうってもらう。どの看護婦さんにあたるかは事前にわからない。ここでも注射の下手な看護婦がいて、みんなその看護婦さんにあたることを嫌がっていた。注射のあと、あの看護婦さんにあたらなくてよかったとか、今日は運が悪かったとかが話題になっていた。
   
 20年前の入院は長期にわたったこともあり、注射の下手な看護婦さんには恐怖を感じ、悪人に見えた。想像するに注射の下手な看護婦は自分が下手のことに気がついていないのではないか。看護婦さんを怒らしてしっぺ返しを想像するので直接言うことは憚られる。間接的にいうべきだったかもしれない。
 
 私の腫瘍はいろいろ調べたが、わからなかったとのこと。

2016年7月1日金曜日

健康(11)– 肺に腫瘍・癌病棟

健康(11)– 肺に腫瘍・癌病棟


検査入院 禁煙 の続き


 約束の1ヶ月後病院へ行った。禁煙は約束の半分しかできていない。特に確認されなかったので、何も言っていない。すぐに入院することになった。入院したところは、6人の大部屋であり、直接的に間接的に聞いて、周りの人は全員癌であることがわかった。みんな大部屋にいることを喜んでいた。もし個室であればふさぎ込むであろうが、大部屋では、お互いに情報交換もできる。同じ悩みを話していれば、気は紛れるし、元気づけられもする。でもこの部屋にいる人は手術で助かる可能性を持っている人たちである。3階には手術できない癌患者ばかりで雰囲気が暗いという。周りの人は入院後1~2日後手術が行われるのに私は2週間近く待たされた。検査で禁煙期間がわかるのかな? 喘息持ちの手術は危険で私の体調を見計らっていたようでもあった。

   肺癌手術でも手術が終われば普通に食事をし、そして次の日からは歩かされる。しかし、体には管が入ったままで、背中には器具を背負わされている。 

 手術の日が近づき毎日種々の検査が行われたが、垣間見える検査結果から私は癌では無いと思った。手術の前日、麻酔医の方がこられて私の体を触診された。私の体は麻酔医泣かせで麻酔注射を打つ場所がわかりにくいとのことであった。麻酔は背中に注射される。以前の盲腸の時も背中に注射された。あの時、私には麻酔があまり効いていなかった。多分注射が少しはずれたのだろう。

   手術の前日、担当医から妻と娘同席で手術内容について話があった。手術で真ん中の太い気管が傷つくと即死になりますが、そんなことが起きないように手術します。と切り出された。おいおいそこから始まるのか。腫瘍がある左の肺は上下二つに分かれています。ちなみに右肺は三つに分かれています。腫瘍は左上の肺の下方にあります。腫瘍部分を切リ取って直ぐに癌かどうか検査します。腫瘍が癌で下の肺にまで達していたら、左の肺全部を摘出します。そうでなかったら肺の上部を取ります。喘息を持っているので喘息の発作が起きたら危険です。腫瘍が良性であっても取り除きます。
 
 私の直前に手術された方は、手術室からすぐ帰ってこられた。聞けば既に手遅れだったとのこと。動揺しておられるふうもなく、いつものように淡々と何事もなかったように雑談されたのには驚かされた。

 しばらくして、私の番になった。手術台に乗せられて大部屋を出て行くときの自分を覚えている。20年前の手術ではとにかく痛くて早く切ってくれとの一心だった。痛くて朦朧として手術台に乗せられたことも記憶にない。今回はどこにも異常が感じられない。2週間近くの病院で日頃の疲れはとれている。禁煙も1ヶ月になる。喘息の気配もない。体はぴんぴんしている。それだけに不安が忍び寄る。危険かもしれないところに敢えて突き進む高揚感のようなものもあった。手術室に着くと直ぐに麻酔を打たれて数を数得るように言われた。五つも数えないうちに意識をなくした。

2016年6月30日木曜日

健康(10)– 肺に腫瘍・ついに禁煙

健康(10)– 肺に腫瘍・ついに禁煙


検査入院 の続き


 禁煙して1ヶ月後に入院するようにいわれていた。 煙草をやめないと前へ進まないとわかっていても簡単にやめられない。 病院から禁煙をきつくいわれてからも2週間吸い続けた。 その頃、用事があって遠くにある実家に帰った。 そこで喘息の発作が起きた。発作はしばらく起きていなかったので、よく効く薬を持っていなかった。 近くの病院に行ったが、発作はおさまらない。 この時、苦しい、煙草もおいしくない、もう煙草をやめようと思った。

 今まで何度も煙草をやめようと思って頭の中の「喫煙スイッチ」をオフにしたが、オフにならない。 オフにしたつもりが、すぐにオンになっている。30年以上この状態が続いていた。 喘息の発作でどんなに苦しんでいても、煙草の誘惑に負け続けてきた。

 ところがこの時は頭の中のスイッチがオフになった。 そしてオフにロックされた。意を決して、禁煙をしたのではない。 決心ならいままで何度もしてきた。 いままで何度強く押しても、その都度強力な反発力でオフにならなかった。 そのスイッチが、そんなに強く押していないのに何の抵抗もなく、すっといとも簡単にスイッチがはいってしまった。 このスイッチはオンにならない。そう確信できた。

  病院の指示通り1ヶ月禁煙し、手術後悪い結果がでなければ、また喫煙することもありえた。 何故、禁煙できたのか。

 癌かもしれないし、煙草もうまいとは感じなくなっていた。 病院の先生が、何度も喫煙しているとどんな治療も効かないと繰り返したことも大きかったと思う。 癌であろうと無かろうと煙草を吸い続けていたら余命は長くないと感じていたこともある。 何が決定打であったかよくわからない。

 いろんな不安や思いが重なって喫煙スイッチが確実にオフになったのであろう。いまでも自分の意志で禁煙できたという感じはない。
   

2016年6月29日水曜日

健康(9)– 肺に腫瘍・検査入院

健康(9)– 肺に腫瘍・検査入院


 ある日会社の診療所から電話がかかってきた。肺で引っかかったのではないかと予想しながら診療所にいく。診療所の先生から手のひら大の写真を見せられた。案の定、肺の写真で素人目にも腫瘍が写っている。小さい写真なのに腫瘍はやけに大きい。頭の中で写真を実物大まで拡大してみる。握り拳ほどの大きさになる。頭がガクンと落ちた。先生が肩を叩いてまだ決まったわけではないと言う。いくつかの病院を示してどこにするかと言われる。大きな病院を選んだ。紹介状をもらって診療室をでた自分を今でも覚えている。

 いろんな検査が受けた。覚えているのをあげると、やたら大きな風船による肺活量測定、脳のMRI、CTスキャン、PET。その他の装置名は覚えていないが、脳と骨の検査がやたら多かった。ずっと後で肺癌は脳と骨に散りやすいと聞いた。CTスキャンの画像を見ることができた。卵大ぐらいの腫瘍と思っていたが、現実は人差し指の先ほどであった。当時癌検診の最先端装置であるPETは別の病院で受けた。当時PETは、まだ日本には2台しかなく、その病院はPETを導入したおかげで苦しかった経営が一気に回復したとのことであった。
 
 何日にもわたり、いろんな検査をされたあと、検査入院をして下さいと言われた。えっ検査だけで入院? 入院手続きを済ますと、今から検査しますと言って車椅子に乗せられた。元気なのに何故? それ程の検査ですと言われた。肺を内視鏡で見るのだという。
 口から内視鏡を入れられた。経験したことのない、表現しようのない、不思議な苦しみが襲ってくる。はねられる、はねられるという先生の言葉が聞こえてくる。内視鏡が腫瘍にあたってどうもうまく見ることができないようであった。終わると何故か自分がぐったりしている。確かに車椅子が要る。その日は病院で一泊した。

 外科部長から一連の検査結果が伝えられた。いろいろ調べたが、腫瘍が悪性か良性かどうかはわからなかった。手術で腫瘍を切って、即時に検査する。その後継続する手術は検査結果に応じて行う。
 「先生、わからないのであれば、手術しなくてもよいのでは?」
 「癌だったらどうする」と声を荒げられた。

 手術に先駆けて煙草をやめること。煙草をやめないとどんな治療をしても無意味である。 まずは煙草をやめること。1ヶ月たってから来院するようにと言われた。また、私は喘息を持っているので、もし手術中に喘息の発作が起きると非常に危険なので体調を見ながら手術を行うとのことであった。

2016年6月27日月曜日

健康(8)– 喘息

健康(8)– 喘息


 肝臓を悪くして食事に気をつけるようにしていたが、γ-GTPもGPTも正常値に戻ると食事に気をつけなくなった。鼻に常時おできができるほど、体調が悪くなった。でも、結婚すると、体質が改善されたかのように体調はよくなった。

 「今日も元気だ、煙草がうまい」そんなCMどおりの気分で煙草を吸っていた。そして、煙草の本数は徐々に増えていった。会社の上司から、「のべつ幕無く煙草を吸う輩がいる」とみんなの前で暗に私を指して叱られてしまうほど煙草を吸うようになっていた。

 43~4才のころ小学生の息子が友達を連れてきてお父さんマラソンをしようという。いいよ、と言って走り始めたが、直ぐに苦しくなってしまい、すぐに子供達は遠くに行ってしまった。少ししか走っていないのに、呼吸困難になり、家に帰り寝込んでしまった。でもこの時は特に何かの症状がでるというわけではなかった

 だんだん咳をするようになった。更に咳こみがすすみ、時々、咳が止まらなくなった。喘息に違いない。発作が頻発するようなり、団地内の病院に通ったが、少しもよくならない。女房が喘息に詳しい先生がいる病院を聞き出してくれた。そこに行くと応急措置とアレルギーの検査が行われた。のちのち看護婦さんからあの時の私の症状はひどかったと何度も言われた。

 一週間後にでた検査結果では、杉と稲科の花粉アレルギー反応が突出しており、アレルギー起因の喘息だと診断された。

 この病院でくれた喘息発作時のスプレーはよく効いた。喘息の薬はよく効くようになっているが、心拍数が異常にあがるなど心臓によくないと誰かが言っていたが、この時渡されたスプレーは2回強く吸うだけで、心臓への負担は全く感じられなく、嘘のように喘息が治まった。

 煙草は吸い続けた。咳き込みそうになるとシュッシュッとスプレーを二吹き。何事もなかったように、すっと治まる。又、煙草を吸う。
 こういった日々をしばらく繰り返していたが、スプレーが効かなくなってきた。病院にいくと今度はお尻に注射を打ってくれた。これがまたよく効いた。病院を出ると一服。 

 でも注射も効かなくなった。看護婦さんにもう一本とおねだり。二本売ってもらうと効いた。病院を出ると一服。ある日、看護婦さんに二本目売ってもらおうとすると看護婦さんの目がつりあがった。強いお薬なのでこれ以上打てません。

 発作時のスプレー以外に根本治療薬を病院から渡されていたが、効く気配がない。 喘息発作時のスプレーも注射ももう効かない。何とかしなければと思って、ぜいぜい言いながら散歩をはじめた。自宅から10分も歩けば標高300mの山の麓にたどり着く。土曜日と日曜日はその山に登るようになった。
 
 喘息を治そうと無理をして歩く。肺が弱っているだけではなかった。足腰もかなり弱っていることがわかった。散歩の途中で煙草は吸わないことにした。でも自宅に帰ってから吸っていた。
 
 喘息を治すぞと、がむしゃらに歩いた。4時間5時間も歩くようになった。そのときわかったことが足腰は長時間歩くと疲れるが肺は調子がよくなる。とはいっても「ぜいぜい」はとれない。
 
 女房が買ってきた早起きの効果の本を読んだ。早起きで仕事や勉強が効率的になると言う本だったが、早朝散歩も勧めていた。土日の散歩のみでは足りないと感じていたので、早く起きて歩くことにした。 

 朝の散歩も土日の山歩きも気持ちがよい。とにかく歩いた。足腰が強くなり、肺も少しよくなった。そして、スプレーも効く。それでも肺の調子は一進一退で特に季節の変わり目に喘息がでた。いつ喘息でてもいいようにスプレーは肌身離さず持っていた。 

 このような状態が5~6年続いた。会社の診療所から電話があって、来てくれと言う。

2016年6月25日土曜日

健康(7)– 盲腸周囲膿瘍-退院後

健康(7)– 盲腸周囲膿瘍-退院後


前々回 排尿痛 および 前回 盲腸周囲膿瘍の続き

 1979年2月退院。退院しても病気が治った気がしない。長い間、病名すらわからず、その間に体に膿がどんどん溜まっていったせいか、心身をすり減らしていた。
 振り返ってみれば、体調の悪さを感じたのは、夏前、会社を休職して、誤診による病院通いをしたのは秋。救急車で入院したのは年末。会社に復帰したのが、2月末。

 会社に復帰してしばらくは、えっ、今10月でなく2月と思うことが何度もあった。アパートに帰って、テレビを見ていても、全然頭に入らない。水戸黄門ですら見終わってどんな内容だったかも思い出せなかった。

 歩けなくなるほど痛みを感じてから手術まで6~7ヶ月、退院後の2~3ヶ月、合わせて9ヶ月以上、この時ほど、周りが見えてなかったときはない。退院後、危機は脱したはずなのに生きている心地はしない。もうだめだという意識が抜けない。

 長期間の治療で肝臓がやられており、γ-GPTとGTPの値が高かった。肝臓は悪くなっても自覚症状はない。会社の診療所の先生は、治すには食事療法しかないという。外食であったが、極力日本食を食べることにした。あとから振り返ってみれば体は少しずつだけれど、回復していた。

 当時は意識していなかったが、心の回復は随分遅れた。心が壊れていると、いままで全く何も感じていなかったものに対しても、恐怖心が湧き、なかなか消えない。特にテレビで救急車の音を聞くのは耐えきれなかった。病院の場面もみることができなかった。ずっと後にこの話を人にするとPTSDだという。いわゆるトラウマである。そうだったかもしれない。

 アパートに女性が人参茶を売りにきた。非常に暑い日だった。クーラーはない。こちらはパンツ一丁なのに女性が上がり込んで、人参茶の効用を熱心に説明した。人参茶は酸化ゲルマニウムを多量に含んでおり、酸化ゲルマニウム中の酸素が体質を根本的に改善するという。2ダース注文した。体質改善に2ダースは必要と言われたと思う。次の日、こんなに多量に買う必要はないと思い直して、1ダースにした。それでも1本約5万円計およそ60万円。

 この人参茶は体にどれだけよかったかどうかわからない。しかし、心の支えになった。これを飲んでいると何故か少し安心した。2年半はほぼ毎日確実に小さな匙に毎2杯ずつ飲み続けた。3年目の終わり頃はだんだん飲まなくなった。そして最後の一本には黴が生えたので捨てた。この時、もう大丈夫と思った。心が回復した瞬間だった。

 私に人参茶を売りつけたのは誰だったのだろう。私が人参茶を買って数年たって、統一教会が高価な人参茶と壺を売っているという情報がメディアを賑わした。そういえば、人参茶を買って一ヶ月もたたないころ、今度は男性が壺を売りに来た。壺が体に効くはずもないし、霊が壺に宿るなんて全く信じないので断った。私は絶対買うと確信していたのだが、と販売員は見込み違いを残念がった。

 統一教会は当時いろいろ話題になったが、事件性があるというわけではなかった。私が飲んだ人参茶はどうだったのだろうか。これを書きながら気になりネットで調べてみた。統一教会が扱う商品のなかではまともであるとのこと。人参茶としては、統一教会が売るので高いが、という注釈がついているものの一級品であるとのこと。そうなると最後の一本はもったいなかった。
 
 入院しているのに会社からは早く出社しろと催促されていた。先生が自宅療養期間を指示してくれていたので、その通りにした。会社仕事はどこも楽なところはない。長時間労働でストレスが溜まる。なんらかの嗜好品に走る。私の場合、コーヒーと煙草であった。あれだけ大変な思いをしたのに、退院後1ヶ月もしないうちから煙草を吸い始めた。入院しているとき、これで煙草がやめられると思っていたのに、又、吸い始めてしまった。何故この時やめなかったかと後で悔いることになる。

 せっかく大病を患ったのに、私が体によいことをしたのは、人参茶を買って3年近く飲み続けたぐらいである。せめて禁煙すべきであった。禁煙しておけば約10年後に煩った病気にならずにすんだ。又、20年後に受けた手術もいらなかった、 

 次は40代に煩った病気について述べる。

2016年6月18日土曜日

健康(6)– 盲腸周囲膿瘍

健康(6)– 盲腸周囲膿瘍

排尿痛の続き

 手術が終わっても生きのびた感はなかった。病名は、盲腸周囲膿瘍で、盲腸があった場所に膿がたまる病気であった。ひどい臭いがして、完全に取り除くよう大きく切ったとのこと。これらは母から間接的に聞いた。手術前後も手術した先生の顔も全く覚えていない。
 気がつけば、おちんちんに管がついている。尿意があるようでもあり、ないようでもある。いつ放尿したかもわからない。でも放尿はしている。気色悪さ感が消えない。これはつらかった。

 手術の次の日から毎日、院長先生が太くて長い針金のようなものを持ってきて、手術した箇所につっこみかき回す。こうすると早く直るとのことであった。
  針金は1週間近く、尿管は約2週間近く続いた。長時間の点滴も毎日ある。針金の痛さは短時間であるが、尿管の気持ち悪さは途絶えることがない。大便は寝たままで他人の力を借りなければならない。これもたまらなくいやであった。

 尿管が抜かれて、やっと寝たきりから解放された。立ち上がるとふらふらすると言われていたが、自分は、普通に歩けると感じた。実際に立ち上がると平衡感覚がなくなっているのに吃驚した。点滴は更に続いた。点滴の針がはいりにくくなって、今度は点滴が苦痛になってきた。看護婦さんの上手下手で点滴のつらさがかなり違う。下手な看護婦さんがくるとおおげさでなく、恐怖に震えた。

 隣は50歳ぐらいの胃潰瘍の男性で、さかんに先生が手術を勧めるが断り続けていた。私は早く切ってくれと切望したのに、この人は拒否している。誰だって痛みがなければ、手術は躊躇するだろう。私の場合は、手術の怖さより、一刻も早く痛さから解放されたかった。
 
 隣の男性は最後は、手術を選択された。数日後、先生がその方に術後の血液検査に問題ありませんでしたよと言われたとき、何を言われているのかわからないようで、かなりたって、あっ、そうかと言われた。輸血は肝炎発症の可能性があり、肝炎の検査で問題がなかったと告げられたのだ。もし、肝炎の危険性を意識されていたら手術はもっと遅れたであろう。

  隣で何週間も一緒だったのに、記憶はこのくらいでほとんどない。今から思えば、体力は消耗しきっており、ぼーっとしている状況が続いていたようだ。

 次に隣に来られたのは、おばあさんで90歳前後のように見えた。「先生、私死ぬのですか」と周りを気にすることなく、さかんに問いかけられる。ネガティブオーラが取り囲んでいるような感じでこちらまで、暗くなってしまう。

 おとなしかった私がいろいろ愚痴を言い始めたようで、このとき、家族はもう大丈夫だと思ったようだ。

 点滴はつらい。隣のばあさんもたまらない。先生に退院をお願いしたら、許された。

 盲腸周囲膿瘍は盲腸を患った人のうち5%ぐらいがかかると聞いた。習慣になって何度も手術を繰り返えす人がいるとも聞いたが、私の場合、幸いなことに30年以上たっても再発していない。

 退院しても、完治には長い時間がかかった。

2015年11月22日日曜日

健康(5)– 排尿痛

健康(5)– 排尿痛


 今後の健康の参考にと思って、過去の病気を振り返っている。20代はヘビースモーカー、生活は不規則、食事も外食、運動もしなかった。腎臓結石や虫垂炎を患った。

  30代に入ってから生活は少し規則正しくなった。それでもヘビースモーカーで、運動は全くしなかった。食事も外食で偏っていた。

  33才秋、何となくいままでにない体調の悪さを感じた。運動を少しはしなければと思い、少し走ってみた。さらに体調が悪くなる感じで、不気味な違和感があった。その後、小便をすると下腹部が痛くなり始めた。病院での体温測定で、確認もせずに体温計を看護婦さんに返すと「38度以上ありますよ」。えっ! 腎臓結石が疑われ、レントゲンを撮られた。腎臓結石は経験があるので、自分は腎臓結石とは思っていない。検査結果も腎臓結石ではない。

   次に疑われたのは前立腺肥大であった。先生が肛門に手を突っ込んで触診する。先生の先生もでてきて肛門に手をつっこむ。そして、前立腺肥大に間違いないという。しかし、前立腺肥大では熱はでないというのに、ずっと微熱が続いていた。前立腺肥大は通常は年寄りがなるものと聞いていたので、絶対違うと感じた。自分は原因不明の病気で苦しんでいる。不安は大きかった。

  小便をするときの痛みは日増しに強くなっていった。常時下腹部が痛くなってきて歩くのもおぼつかなくなった。一人ではとてもやっていけない。身の回りの世話をしてもらうために母にきてもらった。母にかかえられて病院巡りをした。ある病院にいったとき、自分では気がつかなかったが、盲腸の跡が膨れていた。先生が大きな注射器を持ってきて、針を差し込んだ。何もでなかった。

  数日後、救急車で病院に行った。救急車に乗る前は何も覚えていない。最初の病院はベットに空きがないとのことで断られた。救急車は次から次へ要請が入っているので私だけを相手にできない、次の病院へは乗せて行けないという。その後は記憶がとんでいる。たどりついた病院は、母子ともにどこのどんな病院かわからない。視覚的な記憶がない。覚えているのは、母経由で手術は二日後と告げられたこと。あまりに痛いので、なんでもいいから早く切って欲しいと思っていたので、かなりがっくりした。もう助からないと思った。その次の記憶は、母から先生が「切らないとわからないが、癌かも」と言っていると聞いたこと。もう駄目だと思っていたので、病名はほぼ無意味だった。手術前も手術後もほとんど覚えていない。盲腸の手術前後は覚えているのに、このときの記憶はない。

  このときの話は気が重くなる。痛さと朦朧とした意識なかで、もう駄目だと心底、観念した。

 

2015年11月15日日曜日

3D(5)結晶構造 - diamond structure ( youtube )



3D(5)結晶構造 - diamond structure

 どうする? 3次元描画に挑戦!

 3次元描画としては、映画の「トイ・ストリー」や「アナと雪の女王」のように2次元描画であるが3次元的に見えるように工夫したものがある。

 最近は本当に3次元でみれる映画が出回っている。これは右目用と左目用の絵(動画)を一つの画面に重ねて置き、色眼鏡で見分けて3次元でみるものである。

 ここで検討しているのは、右目用の絵と左目用の絵を描いておいて、見る人が目の焦点の位置を画面の奥に置くか、もしくは、手前に置くかで立体的に見えるようにしたものである。

 同じ方式で右目用と左目用の写真を撮る装置がある。この写真を並べてみると立体的にみえる。一時ヌード写真でミニ・ブームがおきたことがあるらしいが、私の記憶にはない。

 私は3次元の幾何学模様と結晶構造で3次元表示を行っている。

 ここでいう幾何学模様は幾何学のようにみえる幾何学的模様ではなく、数式をベースにした幾何学模様である。2次元の幾何学模様はアリストテレスの時代から古今東西盛んに検討されてきた。日本でも江戸時代、民間の数学マニアの一分野であった。江戸時代の数学は関孝和だけではない。庶民を巻き込み裾野は広く、全国津津浦々に証拠の絵馬が残っている。江戸時代の文化 見直すべしである。

 3次元幾何学は古代ギリシャからあったようであるが、高校で教えられることはない。非ユークリッド幾何学やリーマン幾何学として発展したようであるが、名前は知られていても専門家以外は中身を知らない。難しい話も通常は多くの解説書がでるが、この分野は見かけたことがない。私はサイン、コサインを適当に組み合わせただけで幾何学模様を描いているだけある。3次元プリンターがでたので、これからは身近になっていくかもしれない。

 結晶構造は2次元図があって、いろんな説明図があってもなかなか理解が進まない。3次元でみせられると、あっそう!と一目瞭然で理解が格段に進む。

 立体視のできるダイヤモンドの結晶構造を前回のブログで示したが、結晶構造はそれでも不十分である。回転していろんな角度から見る必要がある。

 Youtubeなら回転する結晶を、今回の立体視方法を用いて、3次元で見ることができる。
目の焦点を画面奥にして3次元に見えるように目のピントを調節して見て下さい。




 最初から少し回転させているのは、ここで使っている立体視方法は真正面が弱いからである。真正面にすると立体的に見えない。


 今回は180度横方向にしか回転していない。360度回転させ、さらに縦方向でも360度回転させたほうがよさそうである。

2015年10月18日日曜日

3D(4)結晶構造 - diamond structure

3D(4)結晶構造 - diamond structure


 教科書に書かれている結晶構造は、当然ながら2次元(平面)で書かれている。現実は3次元である結晶構造が2次元で書かれていると想像力を働かせて理解しなければならない。つまり、わかりにくい。もし、3次元でみることができれば理解しやすい。

 いままで紹介してきたように目の焦点をスクリーン上からずらすことによって3次元でみることができる。

 今回示すのはダイヤモンド構造である。ダイヤモンド以外にもSi(シリコン)やGe(ゲルマニウム)もダイヤモンド構造である。

 次図は目の焦点を画面奥にした場合、3次元でみることができる。



 次図は目の焦点を画面手前にした場合、3次元でみることができる。



 これらの図はExcelのVBAで作成した。結晶構造を3次元でみたとき、我ながら 「おう!」と感激した。いずれこのように3次元でみられる結晶構造が教科書にのる日がくる。

2015年9月27日日曜日

健康(4)– 虫垂炎 

健康(4)– 虫垂炎


 20代後半夜アルバイトをしていたら、いつもとは全く違う胸焼けを感じた。これは尋常ではない。アルバイトを早めに切り上げてアパートに帰る。今までとは違う汗がでる。これが世にいうあぶら汗か。やたらと気分が悪い。手が勝手に体中をまさぐりだした。手が右の下腹に触れた途端、ぴりぴりっときた。盲腸だ。次の朝、隣の知人に付き添ってもらって、腎臓結石でお世話になった病院へいく。「先生、盲腸です」「こら!自分で決める奴がどこにいる。何の病気か検査する。」 しばらくして先生が帰ってきた。「おまえの言うとおり盲腸だ。」

   部分麻酔の手術で、先生が切り取った盲腸をみせ、汚い盲腸だという。他の盲腸を見たことがないので汚いかどうかわからない。鮮やかな黄色い塊で、これが汚い?と思った。看護婦さん二人が手術台かつ移動車から私を寝台へドスンと落とす。痛い。あの二人の体の大きさではやむを得ないと思ったが、そっと下ろして欲しかった。しばらくして先生がやってきた。「おまえは大袈裟だ。手術中おまえほどわめいた奴はいない。麻酔が効いている。そんなに痛くないはずだ。足をあげてみろ。あがらないはずだ。」 「先生、いくらでもあがりますよ。まだあがりますよ。でも傷口が痛いのでこれ以上はあげられません。」先生は黙って立ち去っていった。

  ずっと以前に盲腸手術を経験した先輩が、麻酔注射が非常に痛かったと言っていた。私の場合、麻酔注射は少しも痛くなかった。手術前に毛を剃られる。その時、看護婦さんがちょこんとつまむので、大きくなると聞いていた。そのときが近づいても痛くて、とても大きくなる気がしなかった。サービスで大きくしないとまずかなと思ったが、看護婦さんはズボンを少しだけ下ろして上の方をわずかに剃っただけだった。

  麻酔が切れたあとは、痛くて笑えないので、笑わされると大変だとも聞いていた。これはその通りだった。

2015年5月9日土曜日

3D (3)球面上のサイン波  sin wave on a globe (3)

目の焦点を画面奥にすると立体的に見えます。

濃い目の色は、「ももはないろ」です。色コードは#e198b4です。
淡い色は、「あわべにふじ」です。色コードは#e6cde3です。

ExcelのソフトVBAを使って描きました。

このような絵をコンピュータを使って描いてみたいと思われ方もいるかもしれません。
そのような方に使った数式を以下に示します。



2015年1月18日日曜日

3D (2)球面上のサイン波 その2 sin wave on a globe 2

3D (2) 球面上のサイン波 その2 sin wave on a globe - 2



 前回、球面上のサイン波として、球の赤道付近でサイン波を示した。北極付近でサイン波は、これがサイン波かと思われるような図になる。

  前回使った式は

θ=(π/6) sin 10φ+π/2


である。今回使った式は、

θ=(π/3) sin  nφ


である。
  今回の最も大きな変更点は、前回式より +π/2を除いたことである。この+π/2は赤道を中心にしていることを示す。+π/6 とすると北緯30度を中心としたサイン波である。この+π/n を除くと北極点を中心としたサイン波となる。しかし、全くそのように見えないパターンが現れる。これはサイン波の振幅の中心が北極点 一点に集中するためである。

  北極付近で上式を少し変更するだけでいろんなパターンがでてくる。

  先ず、sin nφ の n を変更して見る。目の焦点を画面の奥に合わせると真ん中に現れるパターンが立体的に見える。

n=1,    θ=(π/3) sin  φ


n=2,    θ=(π/3) sin  2φ

n=3,    θ=(π/3) sin  3φ

n=4,    θ=(π/3) sin  4φ

n=5,    θ=(π/3) sin  5φ


  sin φ、sin 3φなどφの前の数字が奇数である場合とsin 2φ、sin 4φ等偶数である場合では花弁の数が異なる。これは奇数の場合、φ=0~180 度と φ=180~360度 で同じパターンを描くのに対して、偶数の場合は、異なるパターンを描くことによる。下図は n=2 でφ=0~180度の場合である。

  式で描画できるのは線であるが、上図のよう線が閉じたループになっている。エクセルやパワーポイントのフリーフォーム機能を使うと色塗りができる。いろんなパターンも埋め込める。色を付けて回転してみる。そして、子午線も経線ものぞいてみよう。このほうが、立体的に見えるパターンとして楽しんでもらえそうである。

2015年1月5日月曜日

3D(1) 球面上のサイン波


3D (1)球面上のサイン波


  幾何学模様(2次元)をやっていて、いつかは3次元の幾何学模様をやろうと思っていた。私のプログラム作成技術はPPTのマクロからエクセルのVBA技術へ進歩している。今ならできるということで挑戦した。プログラム作成にかなりの期間を要したが、3次元でいろんなことができるようになった。3次元表示は、複雑で多様性がある。3次元表示ではまず任意の角度で傾けて表示する必要がある。次にどう見せるかという問題もある。いろんな表現方法がある。このブログの3Dシリーズでいくつかの表現方法を紹介していきたい。

  下図は、球面上のサイン波である。
 どのような発想でサイン波を書いたのか。 球を地球儀に例えて話をする。経線は赤道に平行に走っている。この経線を2次元(X,Y)のXとし、子午線をYと考えればよいと考えた。地軸に対する傾き角度をθとすると、半径を一定にして、θを0度から180度動かして線を描くと子午線が描ける。地軸を軸として回転する角度をφとする。半径を一定にしてφを0度から360度回転すると経線が描ける。

  Y=sin X はθ=sin φ とすれば、球面上でサイン波が描けるであろう。しかし、球面にはいろんな制限がある。上図の球面上のサイン波は以下の式で描いている。

θ=(π/6) sin 10φ+π/2

  θは地軸に対する角度なので、赤道を中心にサイン波を書くために π/2 を足している。π/6 は サイン波の振幅を示しており、これにより北緯30度と南緯30度の間を上下する。10はサイン波の山もしくは谷の数を示している。

  このような球面上のパターンを見せるにはどうするか。今回のサイン波は、わかりやすので、上図だけだ充分であろうが、傾ける角度を変えた方が良い場合がある。今回はあまり意味がないが、北極側からみるパターンとして90度傾けてみた。

  立体視、もしくは、実体視、もしくは、マジックアイと呼ばれている3次元表示技術がある。意図的にわずかにパターンをずらした図を二つ用意しておき、見る人の目の焦点を画面の手前もしくは奥にあわせてもらうという手法である。これを使うと二つの図形が三つにみえ、真ん中の図形が実際に立体的に見えるから驚きである。見るためには少し訓練が要るが、見えたら 「おうっ」 と思う。目の焦点を画面の奥に合わせることを前提に図形を書いており、円の真ん中が手前に膨れればOKである。目の焦点が画面の手前になっても3次元に見える。その場合は、円の真ん中が凹んで見える。
 このマジック・アイのパターンをみていると近視も遠視も治るといわれているが、簡単には治らない。しかし、立体視能力は短時間で向上する。多くの人は、右目と左目の能力が偏っており、この偏りによって物を立体的にみる力が弱まっている。マジック・アイのパターンをみていると両目の能力が均一になると考えられる。私の場合は、周りの景色が急に立体的にみえて感激した。もとが悪くなり過ぎていたのかもしれない。

  もし上図が立体的に見えるようだと次の絵をみて頂きたい。地球の裏側も描いている。2次元図はごちゃごちゃしているが、3次元的にみえてくると 「お~っ」です。出来たら眼の焦点を画面の奥に合わせて欲しい。
 今回は、赤道上のサイン波でした。π/2 を消すと北極上のサイン波のはずです。ですが、えっ、これがサイン波というパターンがでてきます。次回は北極上のサイン波?です。